Adaptive Markets 適応的市場仮説

読んだのでメモ。


人が合理的で市場は効率的だと信じるなら、それでいろんなことに関する見方の大部分が決まる。銃規制(無用)、消費者保護法(ノークレームノーリターン)福祉制度(意図せざる結果が多すぎ)、デリバティブ制度(百花繚乱でよし)、おあっし部なインデックスファンドか超アクティブなヘッジファンドか(インデックスファンド以外無用)、金融危機の原因(住宅や住宅ローンのし上に政府が介入しすぎ)、政府は危機に対処するべきか否か(政府が金融に果たす基本的な約和紙は、情報を生成し、検証し、情報が市場価格に織り込まれるようにすること)、という具合だ。


これは今ではエルズバーグのパラドックスと呼ばれている。エルズバーグの画期的な論文に出てくる例だからだ。考えることと感じることは同じではない。 人は日常の活動では問題なくリスクを取れるかもしれない。でも、そういうリスクにちょっとでも不確実性が伴うと、人はもっと慎重になり、保守的になる。 未知への恐れは存在する恐れの中でも最も強力なものの一つで、自然な反応は、(序章で見た通り)全力で逃げる、だ。


知性とはなんだろうう?神経科学における近年の研究を利用すると、びっくりするくらい直球の答えが出る。知性はいい物語をつくる能力のことだ。
「いい」物語とは?私のいう物語とは、結果を正確に予測する物語だ。


誰にもお金を稼ぐチャンスがあって、誰も貧しいせいで亡くなることのない世界に、どうやったらたどり着けるだろう?ポール・コリアーの心を揺り動かされる言葉を借りれば「どん底の10億人」が、1日1ドルと1/4より良い暮らしを間違いなく送れるようにするためにはどうすればいいのだろう?じつは、これではまだまだ志が低いのだ。本当の疑問はこうだ。あの人たちを金持ちにするには私達はどうしたらいいだろう?
大きな社会問題に立ち向かうには、かつてない水準の協働と集合知が必要だ。集合知の形成を後押しするものとして、金融は、これまでに見つかった最も効率的な手段だ。ゴードン・ゲッコーの(映画の中での)演説とは逆に、そんな効率の高さは、強欲は前だから実現したのではない。適用市場仮説は私たちに、 みんなが儲けようとするからというだけでは、市場が人々の行動を組織化するのがあれほど甘いのを十分に説明できないと示している。私たちは欲と恐れに突き動かされているが、それだけでなく、公正の感覚や、たぶん一番大事なのは、想像力にも突き動かされている。
Written on December 17, 2020