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人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である こころの資本の経済学
14 quotes経営者の多くは、自分の話を人に聞かせるのは得意だが、人の話を聴くことを大の苦手としている。そして、そのことに気づいてすらいない。社長の話はつまらなくてもみんなが真剣に聞いてくれるからだ。 自分がいい話をしていると錯覚してしまいがちだが、それは違う。自分がつまらない話をしているということに気がつかない、その状態こそが問題なのだ。
すべての人間が心から望むこと、それは自分の関心に関心を払ってくれる人とのつながりだ。 人間がもっとも欲するものは、お金でも成績でもない。ありのままの一人の人間として関心を示してもらうことだ。
人間は一人ひとり違う存在だ。相手に共感しようと心を傾けても、他人の気持ちを純粋な意味で理解することは難しい。しかし、人は、自分の話を心から聴いてくれる人|自分の関心に関心を示してくれる人ーと出会うと、「自分の気持ちをわかってもらえた」と感じるのだ。 だから「相手の気持ちをわかってあげられない」と失望しなくていい。相手の関心に純粋な関心を向けることができれば、癒やしは現実になる。
誰かがすばらしいことを思いついたのだ。いったん社会に財が行き渡った後でさらなる需要をつくり出すためには、人に欠乏感を感じさせればよいのだ!そのためには、消費者の持ち物、生活スタイル、人間関係、預金残高、人生のありとあらゆることが、いかに不足していて惨めで魅力に乏しいかを納得させればよい
運用は必ずどこかで破綻する。それは、経済分析以前の数学的事実である。 資本主義が強烈な格差を生み出すのは、利子のメカニズムに付随する構造的な問題と考える のが自然ではないだろうか。 社会格差の問題は、一般的に批判されているような、まずい政治の舵取りの結果という要素も確かにあるかもしれないが、上記を前提とすると、政治批判・経済論争すら世末な議論にすぎないということになる。
株式上場は経営者の夢かもしれないが、従業員にとっては、「仕事のハードルが著しく高い水準に再設定される恣意的なイベント」以外の何ものでもない。 株式の上場とは、株主が莫大なキャピタルゲインを得る代わりに、その額に等しい負積を従業員に押しつけることだからである。サンマリーナホテルのような事業の売却、あるいは株式上場によって、なぜ従業員のハードルが上がるのか。それは、上場に際して、創業者を含む株主が、従業員の未来の稼ぎの大半分を、会社から抜き取ってしまうからだ。
有限な世界における複利成長は、持続不可能だ。これが、数学的な事実である。複利で成長を続けることは地上の物理法則に反しているため、必然的に根深い社会問題を引き起こしてしまう。 このシステムのエージェントとして働くということは複利と戦うということだが、複利との戦いは戦う前から敗北が運命づけられている"無理ゲー”なのだ。 そうであるにもかかわらず、誰もこの成長を止められない。 理由はシンプルだ。このペースで利益を増やし続けなければ、経営者のクビが飛ぶからである。大企業の経営者は猛烈なプレッシャーを受けていて、成長率が少しでも低下すれば株主から容赦なく辞任を迫られる。 逆に、株主が要求するペースで利益を出し続けている(東の)間は、通常の労働では到底手にすることができないほどの莫大な報酬を得るのである。
愛に生きるということは、人間関係に学び、自分に向き合い、勇気を持って心を開き、自分の感情に出会い、体験的な気づきを重ね、自分より大きなものにすべて委ねるという意味を含んでいる。言葉だけで理解できるようなものではないのだ。
資本主義経済の中で、私たちが働く主な動機は、債務不履行ー暴カーを避けるためである。家賃を払うため、子どもの学費を払うため、携帯電話の料金を払うため、そのすべては負債であり、生活の質が上がっていくにつれて、負債もどんどん膨らんでいく。 負債を返済するためには、どうしても経済成長が必要だ。私たちは、いつも何かに追い立てられるように働き続けているのだが、その「何か」とは負債にほかならない。 そして、その負債を履行しなければ力が待っている。 そんな人生は人間を疲弊させる。経済がどれだけ目覚ましい成長を遂げても、人が幸せにならないのは当然ではないか。
本人にしてみれば怖れを感じる理由が一つもないのだから、何を言われてもピンとこない。 幸せとは「ロープを手放すこと」ではないし、「地上に立つこと」でもない。 「地上に立っている自分に気づくこと」である。幸せの本質とは、自分はすでに幸せであるという気づきなのだ。
人生とは、自分自身についての思い込みを転換するプロセスである。 このパラダイム転換がどんなスピードで進んでいくかは予測できない。一夜にして転換してしまう人もいれば、少しずつ積み上げるように進んでいく人もいる。
ポスト・イット 私たちは誰でも、自作自演のストーリーにしがみついて生きている。そして、そのストーリーが自分の真実だと思い込んでいる。
この広い世界で、自分のことを誰よりもディスっている人物は、自分である。そして、私たちはそのことに気づいてもいない。 自分の悪口をポスト・イットに書き込んで、それを毎日のように読み返していれば、自分が 嫌いになってくるのも無理はない。 自分だと思っているものは、ほとんどの場合、自分が書き込んだポスト・イットだ。 自分だと思っているものを手放すということは、そのポスト・イットに気づくことである。
仏陀は、すべての問題は自分の思い込みがつくり出していると語った。 ロープにしがみついていることが、この世のあらゆる問題をつくり出している根本原因なの だという。執着のない状態では、問題は生じ得ない、と。 私たちは「どうしてもシナケレバナラナイ仕事」「絶対に別レラレナイ人間関係」「決して変 エテハイケナイやり方」が存在すると考えているのだが、それは、本当にそうでなければなら ないのだろうか。 ほとんどの人がそうだと答えるかもしれない。それでもあえて問いたい。 答案は、ECでなければならなかっただろうか? いまの私にとって、ECが正解だったとは言い切れないし、EECが忌まわしい失敗でもなかった。それどころか、挫折を好機へと転換する方法がいくらでもあるということを、私はEECから学んだ。
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表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬 (文春文庫)
7 quotes社会主義だから当たり前といっちゃ当たり前なのだが、広告の看板がない。ここで、初めて自分が広告の看板を見ることがあまり好きではないことに気づいた。東京にいると嫌というほど、広告の看板が目に入る。それを見ていると、要らないものも持っていなければいけないような気がしてくる。必要のないものも、持っていないと不幸だと言われているような気がぼくはしてしまうのだ。
キューバのスーパーの品揃えは日本人のぼくには極端に少なく見えた。 例えばヨーグルト。 キューバのスーパーでは2種類であった。 日本ではどうだろう。 プレーン、低糖、低脂肪、乳酸菌、生乳100%、免疫強化、コレステロールを下げる、などなど。かなりの品数がある。 それらを選ぶことは楽しいことであるのか、それともその品揃えの豊富さの陰で我々が犠牲にしていることがあるのだろうか?
それは葉巻を吸っている男の写真の撮られ方じゃない」と言われた。 「葉巻は手を使わずに口にくわえたままで、しかめっ面でカメラを見ろ」とアドバイスされる。
日本の自由競争は機会の平等であり、結果の不平等だろう。キューバの社会主義は結果が平等になることを目指していて、機会は不平等といえるのかもしれない。
細々と積み重ねた過去と失敗する未来とのクラッチを切って、
「この村でハーンに必要とされなかったら辛かっただろうな」
ぼくは、物見櫓から 13 世紀村を眺めて絶対仕事先以外にも所属する集団を作ろうと決心した。
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言語化するための小説思考
3 quotes「読みやすさ」とは「視点人物と読者の情報量の差を最小化する」ことによって感じられるものなのではないか、と僕は考えていて
人間が芸術に感動するのは、圧縮された作品を解凍して、根本に存在したはずの「ある人の認知」を受容するからだと思っている(もちろん例外もあるだろう)。僕がAIによる表現活動に対してそこまで悲観していないのは、AIには解凍した先の「ある人の認知」、加えてさらにその先に広がっている「世界」が存在していないからだ。出力された作品の質でAIが人間と肩を並べ、あるいは先行していく未来は遠くない将来に生じると感じているが、作品から世界に接続していく過程には、現実世界を生きてきた人間の持つ強さが残っている。ゴッホの絵を飾りたい人はいても、AIが描いたゴッホ風の絵を飾りたい人はあまりいないだろう。
小説というジャンルにおいて「AI」が人間に(現段階で)勝っていないのは、将棋やポーカーと違って、小説の「勝利条件」がまだ誰にもわかっていないからだと思う。言い換えるなら、「面白い小説とは何か」という問いの答えがわかっていないのだ。僕は誰よりも先に、その問いの答えに辿りつきたい。無数の作者と無数の読者がいて、無数のコミュニケーションが発生している状況の中で、どれが成功していてどれが失敗しているのか、その原因はなんなのかをすべて知りたい。
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平和と愚かさ
16 quotes平和と感かさが表裏一体であること。ここにはとても重要な問題がある。いまは合理性や配慮 謙えられる時代である。人権問題でも経済格差でもジェンダーでも気候変動でもなんでもよいか。夢かさと加音の危険を避けるため、社会全体が、もっと調べろ、もっと考えろ、もっと聞くなれ、と人々を急き立てている。SNSとAIがその流れを加速している。 むろん考えることは重要である。愚かさは罪の源でもある。けれども現実には人間の能力には限界がある。あらゆる問題について合理的な判断を下し、道徳的な正しさを引き受けることができる人間など存在しない。ひとは弱い。だから賢さへの強迫が過剰だと、不安を感じ逃走してしまう。平和を感じることができなくなる。そしてより深い愚かさに突入する。二〇二五年のいま、世界で起きているのはそういうことだと思う。
一方に正義がある。他方に悪がある。正義がすぐに勝つのであれば、むろん問題はない。 けれども、悪がそうたやすく敗北しないのだとすれば、いったい正義はどこまで戦い続けるべきだろうか。むろん正義は敗北してはならない。とはいえ、現実にひとが傷つき、死に続ける状況を目のまえにして、正義のため戦い続けろと要求するのもまた正義に反している。
戦間期のアメリカ大統領、ハーバート・フーヴァーは、大戦初期の一九四二年にすでに、「住民交換がいかに難儀な大事業であろうとも、戦争予防のために行われる住民交換の経費は戦争の惨禍に比べようもなく安上がりにつく」ので、戦後は「徹底した民族国家への再編とそのための住民交換」が必要だと発言していた。 この判断をどう評価すべきだろうか。強制移住はむろん人権侵害だ。いまならば戦争犯罪と言われるだろう。けれどもそれら強制移住のおかげで、戦後のヨーロッパはたしかに少数民族問題に悩まされにくくなった。そして長い平和が続いた。この点では正しかったと考えることもできる。
二一世紀のいま、ぼくたちは共生の理想をあたりまえのように善だと教わっている。そう理解するのはしかたない。 けれどもいま紹介した歴史は、残念ながら、そのような価値判断があまりにも一面的であることを教えてくれる。
かつてナショナリズムといえば英雄や勝利の物語(加害の物語)が中核になった。しかしいまでは、自分たちは弱者で、犠牲者で、だから正義なのだという訴え(被害の物語)のほうが中核になってきている。博物館のテーマパーク化は、そんな国家意識の変容のわかりやすい表れでもある。
平和の記憶はつねに訂正可能性に開かれねばならないということを意味している。本書の第二部は「愚かさ」を主題にしている。平和と愚かさは不可分に結びついている。 平和とは考えないことが広く許されるということなのだから、それはすなわち愚かさが広く許されるということでもある。 しかしひとは愚かだと悪をなす。害をなす。だから平和は本質的に加害の可能性に結びついている。 それゆえ、ぼくたちは、平和について語るときには、つねに「じつは平和ではなかった」と抗議し訂正される可能性を考慮しておかねばならないのである。
ぼくたちはいま、あまりにも賢さが過剰な世界に生きている。人工知能の普及がそれを加速している。近い将来、政治家や哲学者の言葉とLLMの出力は区別がつかなくなるだろう。そのとき人間はなにを発するべきなのかが、あらためて問われることになるだろう。 ぼくが考えないことの価値について考えているのは、その時代に備えるためでもある。人工知能は哲学は理解できるだろう。政治も理解できるだろう。それは考えることだから。しかし平和は理解できないだろう。それは考えないことだから。人工知能にとって平和は意味がない。考えないことは停滞でしかない。しかし人間にとっては意味がある。
量死と大量生のこの連続性は、ここまで数値化の暴力と呼んできたものと深く関係している。 世界をすべて数値化する能力、それはけっして大量死を可能にするだけでなく、大量生もまた可能にする。ぼくたちは数値化の暴力があるからこそ、大量の人々をモノのように処理し、収容所に送り込むことができるが、しかし、同じようにその暴力があるからこそ、大量の商品を安価に生産し、大量の人々を規格化された団地に住まわせることができるのである。
一九八〇年代の村上は、おまえの小説には歴史がない、現実に直面しろと言われ続けていた。 名前と意味を回復しろと言われ続けていた。その批判に対して、一九九〇年代の村上は、単純に名前と意味を回復する小説は書かなかった。彼はむしろ、彼にとって、歴史と現実に直面するとはけっして名前と意味を回復することではなく、井戸戸に潜ることなのだと、そう答えた。
つまりは人類の文明は、否、そもそも地球の生物圏は、太陽という「外部」からの「贈与」を使いまわすことでかろうじて成立しているにすぎないのだ。ところが原子力技術の出現はその条件を変えてしまった。原子炉があれば、人類は原理的には太陽がなくても生きていける。少なくともそう夢見ることができる。原子力は、「贈与」への依存を断ち切る可能性として現れたのだ。これが中沢の原子力観である。
けれども同時にぼくは、人類はどうせけっして賢くならないだろうとも思う。人類はこれからも戦争をするだろう。事故も起こすだろう。虐殺すら繰り返すかもしれない。個人はたしかに賢くなる。けれども群れは賢くならない。なぜならば群れはつねに若返り続けるからである。新しく愚かな個体が補充され続けるからである。それは希望であるとともに人類の限界である。いかなるイノベーションが生まれたとしても、人類が人類であるかぎり、その条件は変わることがない。
博物館にはまたべつの可能性があるのではないか。善か悪か、正しいか誤っているかの二者択一に陥ることなく、両義的な現実を両義的なまま呈示すること。おそらくはそれができることが、言葉だけに頼らず、物理的な空間のなかに物理的なモノを展示する物理的な博物館の強みなのだ。それは百科事典にもグーグルにもオンライン博物館にもできない。物理的な東縛から解き放たれた瞬間、人間の認識は単純な二項対立のなかに落ち込んでしまうからである。かつてカントは、その限界を「物自体」という言葉で表現した。
プールでぷかぷかと浮いていると寛容になる。それはそうかもしれないが、プールは自然に存在しているわけではない。プールを維持するには多数のスタッフが必要だし金もかかる。リゾートのユートピアは、そのような「裏方」「バックヤード」を見えなくすることで成立している。 そこに目を向ければ、必ずどろどろとした政治がある。原発事故が突きつけたのは、まさにそんなバックヤードの醜さではないか。そのような世論の変化によって、ぼくの主張はたいへん分が悪いものになってしまった。
リゾートを享受する客のほとんどは、ほかのどこかで他者に奉仕し、対価として金銭を獲得した人々だ。つまりフルタイムで動物なわけではない。 ここに現代社会の重要な特徴がある。ひとはときに人間になり、ときに動物になる。同じ人間があるときは裏方となり、あるときは客となる。それは裏返せば、現代社会では搾取するものと搾取されるものを実体的に区別できないということを意味している。ある局面で搾取されているひとも、ほかの局面では搾取する側にまわっているかもしれない。階級が分かれているわけではない。いま左派が力を失っているのは、そのような変化に対応できていないからだ。
客が存在しなければ裏方も存在しない。裏方がものを考えるのは、客がものを考えなくてもよいようにするためだ。そしてその客はべつの局面では裏方になり、裏方はこんどは客になる。ぼくたちはそのように「ものを考える」局面と「ものを考えない」局面がモザイク状に組み合わされた時代を生きている。いいかえれば現実と幻想が不可分に絡みあった時代を生きている。それが消費者的 生産者的、あるいは客的 裏方的二重体の時代だ。
ぼくたちは、あらゆる現実を見えなくして、幻想と魔法で世界全体を包みこもうとしている。 テーマパーク化とはそういうことだ。そうでないと、ぼくたちはもう社会生活を送れないのである。
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測りすぎ なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?
11 quotes私たちは測定された説明責任の時代、測定された実績に対する報酬の時代に生きており、「透明性」を通じてそれらの測定基準を公表するという美徳を肩じている。だが、説明責任を測定基準や透明性と同一視するのは間違っている。説明責任は本来、自分の行為に責任を負うという意味のはずだ。だが、一種の言書的トリックによって、説明責任は標準化された測定を通じて成功を見せつけることに変わっていった。まるで、本当に大事なのは測定できるものだけだとでもいうようだ。しばしば当然のことのように受け止められるもうひとつの思いこみが、「説明責任」は実績の測定が公にされること、つまり「透明化」を求めるということだ。
詩人で歴史家の故ロバート・コンクエストの名言を思い出してほしい。「誰しも、自分が一番良く知っていることについては保守的になる」。
能力給は、内的動機を減少させる。多くの作業が、医療においては特に、内面的に満足できるもののはずだ。 痛みを緩和し、質問に答え、手先の器用さを発揮し、言頼され、専門家集団の中で働き、パズルを解き、頼れる権威ある人間の役割を経験する。こうしたことすべてが、一日を職場で過ごす形としてはまったく悪くないことだ。医療という職業における誇りと喜びは、医療専門家の「実績」へとつながる数多い動機のひとつである。報酬や費用、還付金などに関する悪意ある議論は現代の医療従事者や臨床医たちの時間をあまりにも多く無駄にしているため、非金銭的かつ内面的な報酬が医療という職業において重要だという事実は容易にないがしろにされ、あるいは疑われさえする。不幸にも、職場における内面的満足要因を無視することは、不注意にそれを減少させることになりかねない)。
ほとんどの従業員にとって、会社への貢献には目に見えないが十分に実のある活動が多く含まれている。もっとうまいやり方や新しいアイデアを思いつくこと、同僚と意見やリソースを交換すること、チームワークに取り組むこと、部下を指導すること、出入りの業者や顧客との関係を築くこと、等々。こうした活動に対して、昇進やボーナスで報いることは適切だしたとえ、文書化するのが難しく、報酬の決定者にかなりの判断力が求められるとしても。それに、問題は実績を数値化することではない。人を足度に沿って評価するのは、別に間違ってはいない。ただ、その尺度があまりに一面的で標準化できるからと言って、もっとも簡単に測定可能な数少ないアウトプットだけを測るようになると、そこに問題が生じるのだ。
技術系企業のますます多くが、実績のランキングは従業員の大多数にとってやる気をそぐ結果になることに気づき、実績連動型のボーナスから離れつつある。その代わり、株式や自社株購入権と組み合わせたもっと高い固定給に切り替えて、企業の長期的な繁栄と従業員との間に目に見える利害関係を持たせた(とりわけ高い業績を上げた従業員には、特別報酬も出すことにした)。
ほとんどの企業は、投資機会の評価にきわめて分析的な手法を結びつけている。にもかかわらず、定量的な技術では長期的な研究開発プログラムを評価することは非常に難しい・・・・・たいていの場合、データや、場合によっては妥当な推定値でさえ、入手できないのだ。ところが、資金をどこに向けるか、向けないかの最終的な決定にはこれらのツールが使われている場合が非常に多い。したがって、結果をより予測しやすい短期プロジェクトのほうが、技術的能力や作業能力を強化する必要がある長期的投資よりも優先されるようになる。
測定執着は大きな被害を生む。ビジネスは、実績の複数の指標をもとに判断されなければならない。利益はたしかに大事だ。だが、長期的に見れば評判も重要だし、市場シェア、顧客満足、従業員のやる気も、市場で必ず起こるであろう新たな問題に対応して解決策を導き出すためには必要だ。予測不能な変化が特徴である経済界では継続的なイノベーションが大なり小なり必要で、それはたったひとつの測定目標に簡単に落としこめるものではない。実績指標はたしかに役に立つだろうが、経営の主要な機能である先読み、判断、そして意思決定の代わりには到底なり得ないのだ。
自分の考えていることが額にでかでかと書かれていて、見る者すべてに丸見えだったとしたら、内面と外面の境は消え失せ、それとともに個体性も消失する。したがって、秘匿の可能性によって表現されるプライバシーは、人が自らを個人として定義することのできるまさにその能力を護るのである。さらに、自我は露出と親のさまざまな度合いを表現することによって特別な関係を構築し得る。人は社会という空間の中で露出と親密度のさまざまな度合いを表現することによって特別な関係を構築し得る。人は社会という空間の中で露出と秘匿を配分し、様々な距離や親密さを構築しながら生きているのだ。 対人関係、それももっとも親密な関係であっても、成功はあいまいさと不透明さの度合いに左右される。 つまり相手が何をしているかはもとより、何を考えているかについてもすべてを知らないことが大事なのだ。
我々は今、技術(インターネット)と、率直さの美徳を訴えながらも恥の必要性は軽視する文化を通じてプライバシーが侵食される世界に生きている。このようなポスト・プライバシー社会において、人は秘密主義の価値を見落としがちだ。こうして「透明性」という魔法の杖が持つ力はあまりにも膨大になり、その非生産的な効果はしばしば無視される。「太陽は最高の殺菌剤である」は、ウィキリークス主義という新たな条義の条だ。この宗教は、あらゆる組織や政府の内部討議をすべて公表すれば世の中はもっと良くなると言じている。 だが多くの場合、結果は停帯だ。一挙手一投足をさらさなければならなくなった政治家たちは、法案を実現させられる妥協ができなくなる。内部討議が公表されることを恐れる政府高官たちは、効果的な公共政策を策定しづらくなる。国家の敵について情報を収集するために秘密性が必要な諜報機関は、その行動が阻止される。いずれの場合でも、透明性がパフォーマンスの敵となるのだ。
イノベーションの昭害人は実績測定で判断されると、測定基準で測られることに注力するよう動機づけされる。そして測定基準が測るのはなんらかの確立された目標だ。だがそれはイノベーションを妨げる。イノベ 1ションはまだ確立されていないこと、まさしくまだ誰も試していないことをやるものだからだ。イノベーションには実験が伴う。新しいことを試す際にはリスクが伴うし、そこには失敗の可能性が、おそらくはそれなりの確率で存在する。実績測定がリスクを取る気を阻害するとき、意図せずして停滞を奨励してもい るのだ
イノベーションの阻害 人は実績測定で判断されると、測定基準で測られることに注力するよう動機づけされる。そして測定基準が測るのはなんらかの確立された目標だ。だがそれはイノベーションを妨げる。イノベーションはまだ確立されていないこと、まさしくまだ誰も試していないことをやるものだからだ。イノベーションには実験が伴う。新しいことを試す際にはリスクが伴うし、そこには失敗の可能性が、おそらくはそれなりの確率で存在する。実績測定がリスクを取る気を阻害するとき、意図せずして停滞を奨励してもいるのだ
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日常のフローチャート Daily Flowchart
3 quotes森博嗣無双
僕は、もう四十年以上、桃識には行かないし、神社で無銭を投げたこともない。おみくじというものを、これまで一度も引いたことがない。どうして、あのようなものに金を使うのか理解できない。もったいないことだな、というのが素直な感想である。
脱サラしても、商売をすれば、客に頭を下げなければならない。どんな仕事をしても、誰かに頭を下げ、妥協をし、我慢を強いられるだろう。独立すれば、「もう誰にも頭を下げなくて良い」なんて小さな自由は、さほど意味がない。会社を辞めて経済的に自立することで、何が変わるのかといえば、人からあれこれ命じられることなく、自分の好きなように働けることくらいだ。しかし、逆に見れば、人からあれこれ命じられることに、文句をいわず従っているだけで安定した給料がもらえる環境も、けっして悪くない。どちらを取っても、さほど差はないように僕には見える。
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異常の構造 (講談社学術文庫)
3 quotes常識とは共通感覚が相互了解的に規範化されたものだといってもよい。常識といわれるものが可能であるためには、人間が単なる生理学的感覚を受容するだけではなく、それと同時に実践的な世界とのかかわりという意味をもつ共通感覚を生産しうるということが必要である。
分裂病者の大半がこのような恋愛体験をきっかけとして決定的な異常をあらわしてくる、といっても過言ではない。恋愛において自分を相手のうちに見、相手を自分のうちに見るという自他の相互滲透の体験が、分裂病者のように十分に自己を確立していない人にとっていかに大きな危機を招きうるものであるかということが、この事実によく示されている。
多くの分裂病者は「表と裏」、「なにもかもさかさま」、「ポジとネガ」というような言いまわしを用いることが多いが、これらの表現にあらわされている「反転」も、いわば同様の事態を述べていることと考えてさしつかえないようである。
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イン・ザ・メガチャーチ
6 quotes誰かにデリバリーさせたものを食べながらウチら生きてるだけで偉いよと毎日繰り返すインフルエンサーが、すっぴんで寝間着姿で言っていただけかもしれない。
私たちが我に返らないようにしてくれてた。 何時からチケット発売とか YouTubeのプレミア公開待機とか日付変わったらタグイベ開始とか、そういう感じで私たちにいつも何かしらやることをくれてたよね。 だから私たちも、あ1忙しい忙しいって、時間がないフリができた。我に返らないでいられた。家でスマホってるだけなのに、忙しい時間ないってバタバタして。
私たちが我に返らないようにしてくれてた。 何時からチケット発売とか YouTubeのプレミア公開待機とか日付変わったらタグイベ開始とか、そういう感じで私たちにいつも何かしらやることをくれてたよね。 だから私たちも、あ1忙しい忙しいって、時間がないフリができた。我に返らないでいられた。家でスマホってるだけなのに、忙しい時間ないってバタバタしている。
応援広告って正直、相当斬新なものでない限りファンダムとアイドル本人だけが盛り上がって終わり、なんですよね。あそこに充てられた資金分、CDやグッズの購入に誘導できたはずなので、そこは我々の反省点です
ゲーム業界で働いていたとき、汗水垂らして稼いだお金をどうして"それ"のためにそこまで注ぎ込めるんだろうと我ながら疑問でした。物語に没入する気質の人間が持つエネルギーの源泉が、長い間謎のままでした。でも今は、自分なりに結論が出たんです」国見はここで息を吸うと、「皆、自分を余らせたくないんです」と言った。 「今って本当に、人生の指針がないですよね。幸せの形は人それぞれって言えば聞こえはいいですが、あらゆるパターンの人生が可視化されて、これまで提唱されてきた生き方の正解とか成功の条件みたいなものはただの幻想だってことが知れ渡りました。どのパターンの人生でも穴があるんです。家庭を持っても今の日本じゃ将来苦しくなるだけとか、お金や影響力を手にしても虚しいだけとか、もう長生きしたって辛いだけとか、何でも視点を変えればマイナスな要素があって、万人に通ずる物差しなんて存在せず、何もかもが簡単に引っくり返ることが急速に知れ渡りました。今は誰もが、幸せの形は人それぞれっていう話ばかりしています」国見が声のボリュームを少し上げる。 「でもそれって、言い換えれば、自分というリソースを使い切ったもん勝ち、ってことでもあると思うんですよね。万人に通ずる物差しがなくなったということは、その対象が何であれ、自分を使い切っている人には外部からのジャッジが一切通用しないということでもあります」
なんかもう、私、大丈夫な気がします。 なんていうか、自分を一回全部使い切ったみたいな感覚なんです、今。 お金も感情も時間も全部、もうこれっぽっちも残ってないんです。 そうしたら急に、顔の一本も見当たらないこの景色が、あんまり怖くなくなってきました。 だから、いづみさんが全部使い切るまで、ここで待ってますね。 ここで見てますから。いづみさんがいづみさんを全部使い切るところ。 もう一度最初からやり直すしかなくなるところ。 「あの、すみません」声を掛けられた。 視線を向ける。 紫髪のあの子が、箱馬の下から私を見上げている。
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データでわかる2030年 雇用の未来 (日経プレミアシリーズ)
2 quotesイギリス産業革命が、労働生産性の向上による利潤の追求が大きな動機となっていたことと異なり、21世紀の産業革命は、「人類社会の存続」という壮大なミッションを背負って始まろうとしている。このような産業革命は、先史時代にまで遡っても例がなく、ホモ・サピエンスにとって初めての経験と言っても過言ではない。
本書の冒頭でも触れたように、イギリス産業革命は、給与の高い熟練労働者を代替する分野でこそ始まった。企業にとって、給与水準の低い人をAIで代替するより、給与水準の高い人をAIで代替するほうが、経済合理性が高いからだ。
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タタール人の砂漠 (岩波文庫)
5 quotesそのときまで、彼は気楽な青春期を歩んできたのだった、その道は若者には無限につづくかに見えるし、また歳月はその道を軽やかな、しかしゆっくりとした足取りで過ぎて行くものだから、誰もそこからの旅立ちに気がつかないのだ。 だが、あるところまで来て、本能的に後ろを振り返ると、帰り道を閉ざすように、背後で格子門が閉まりかけている、そしてあたりの様子もなにか変わってしまっていることに気づく、目はもう頂点にじっと留まってはいず、急に傾きはじめ、もはや留めるすべもなく、地平線に向かって落ちて行く、雲はもう蒼穹にゆったりと漂ってはいず、次々と折り重なるように、足早に逃げて行く、雲も急いでいるのだ、時は過ぎるし、道もいずれは終わることが分かっているからだ。
たとえらっぱの響きや、軍歌を聞いたとしても、あるいは北から不穏な知らせが届いたとしても、ただそれだけなら、ドローゴはやはり砦を去っただろう。しかし、もう彼のなかには習慣のもたらす麻薄が、軍人としての虚栄が、日々身近に存在する城壁に対する親しみが根を下ろしていたのだった。単調な軍務のリズムに染まってしまうには、四か月もあれば充分だった。
口ずさんでいたのは兵士なのではなかった、寒さや、罰や、愛に感応する人間ではなく、よそよそしい山なのだった。なんと悲しい間違いなのだろう、ドローゴはそう思った。おそらくすべてがこうなのだ、われわれのまわりにはわれわれと同じような人間がいると思い込んでいる、ところがまわりにあるのは理解できない言葉を語る氷や石ころばかりなのだ、友だちに会釈しようとして、手を上げるが、その手は力なく垂れ下がり、微笑みは消える、なぜならわれわれはまったくの孤独であることに気づくからなのだ。
その時期、ドローゴは、人間というものは、いかに愛し合っていても、たがいに離ればなれの存在なのだということに気づいた。ある人間の苦しみはまったくその人間だけのものであり、ほかの者は誰ひとりいささかもそれをわがこととは受け取らないのだ、ある人間が苦しみ悩んでいても、そのためにほかの者がつらい思いをすることはないのだ、たとえそれがいかに愛する相手であっても。そしてそこに人生の孤独感が生じるのだ。
ドローゴは胸にこみあげるものを感じた、遠い日の夢よ、さらば、人生のすばらしいものよ、さらば。陽の光は澄みわたって、人を優しく包み、爽やかな風が谷を吹き抜け、草はかぐわしく、小鳥のさえずりがせせらぎの音に伴奏をしていた。人々にはさぞ楽しい日和だろう、とドローゴは思った、そして自分の若いころのすてきだった朝とうわべは少しも違っていないのに驚いた。馬はふたたび歩みはじめた。半時間ほどすると、二本の道が合流する橋が見えてきた、やがて新任の中尉と話をしなければならないのかと思うと、彼は気が重くなった。
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ロバのクサツネと歩く日本
5 quotes文化人類学者の今福龍太氏は、世界には二種類の場所があると言っている。放っておいても自然と物事が起こる場所と、自分から動かなければ何も起きない場所だ。 今福氏によると、東南アジアや西アジア、南米といった地域は前者に、日本やアメリカは後者に属するだろうという。
「信州」という言葉の響きに、私はいつも高原に吹くさわやかな風を思い浮かべるが、木崎湖はまさに私の中の信州像をそのまま具現化したような場所だった。
ロバにとって「働く」のはいいということだ。クサツネの仕事は荷物を運ぶことだった。それによって足腰は鍛えられ、蹄もきれいな状態に保たれる。 よく働き、よく食べることで体つきや毛艶が良くなり、健康的になっていく。それは人間にも当てはまるかもしれない。毎日歩けば気分が晴れ、夜はぐっすり眠れる。おかげで私もクサツネも、これまで一度も体調を崩していない。
改めて考えてみると、私は旅を通してなにか達成感を得たいとか、充実した時間を過ごしたいとか、そういった欲望からはきれいに解放されている。それが心地よくてひたすら歩き続けているのかもしれない。
私がここを訪れることは、たぶんもうないだろう。いつか、と思いながら長い月日が経ってしまったが、その「いつか」はどうやら遅すぎたようだった。
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東京の子 (角川文庫)
5 quotes東京に吹いた今年はじめての寒風は、ただの抵抗に変わり、寒さとは無縁のものになった。
仮部は「ここは、インテリがくるような国じゃないぞ」と 呟いてみた。
人は外見次第でまともに扱われる。それを仮部は身をもって知っていた。ひとたび承認されれば、振る舞いも変わり、そして内面も変わっていく。 仮部は外国人だらけの職場でダン・ホイに一人の人間として扱われることで、施設育ちの劣等感を捨てることができた。一日の半分を会社員として過ごすデュアルの学生たちが、ただの大学生とは異なった顔つきになるのも無理はない。
コロナ禍を通り抜けた東京に残されたのは、ひとときの仕事にありつくために地方から集まってきた若者と、三百万人を超えた外国人労働者と、最低賃金ぎりぎりでも文句を言わない外国人も就ける職業──介護、保育、警備に解体工事の現場だ。 水谷と話すのは三日目だが、そのたびに東京デュアルが目指している社会がそれほど悪いものではないように思えてきていた。
トウキョウ・ニッパーと呼ばれていたおれが、東京の子が、この街に裏切られるわけがない。
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ドキュメント戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争
5 quotes「泣かない赤ちゃんは、ミルクをもらえない」というものだった。 国際社会に振り返ってもらうには、大きな声を出さなければならない。そして声の出し方には さまさまなテクニックがあるらしい、ということをシライジッチは知った。
「Enough is enough, that's why.(もうたくさんなんだ。それが理由だ)」と続けた。 最後の一言は、怒気を合んでいた。他の出演者にはない迫力をもっていた。しかし、この感情の発露は、計算されたテクニックだった。
「民族浄化」はお墨付きを得た言葉となった。 国務省高官の口から語られ、声明の中で使われる「民族浄化」という言葉は、「国務省発の情報」として再びメディアに取り上げられていった。
五月には、ジャーナリストでもボスニア・ヘルツェゴビナの位置を正確に語れない者が多かったというのに、ボスニア・ヘルツェゴビナで親を失った子供を養子にしたい、という申し出さえ普通のアメリカ人がするようになっていた。
「politically correct (政治的に正しい)」という英語の表現がある。心にある本当の考えや思いは別にして、発言の政治的な影響を考えたときに適切なものの言い方、という意味だ。マッケンジー将軍は、この言葉を使って当時の自分の考えを説明した。
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給料はあなたの価値なのか 賃金と経済にまつわる神話を解く
16 quotes最低賃金の議論は、雇用に与える影響を中心にされることが多い。最低賃金を上げれば、雇用の伸びが抑制されるという理論である。しかし、実際には、雇用への悪影響はほとんど認められない。多くの場合、最低賃金の上昇は労働者の利益になり、雇用を減らさない、とデータが明らかにしている。国でいちばん高い最低賃金を採用したといえるエメリーヴィルには、ほかにも誇れる点がある。2・4%と低い失業率はアメリカ全体の失業率を大きく下回る。まわりと比べても低い。エメリーヴィルのあるアラメダ郡のほかの地域の失業率は、エメリーヴィルより17%高い。これは、最低賃金を上げれば失業率が下がるという話ではない。 エメリーヴィルに低い失業率をもたらした要因はたくさんあるだろう。だが、どのような仕事であれ、仕事を減らさずに給与を上げるのは可能だということだ。
洋服や家庭用品を販売する人たち、私たちが消費する動物を解体加工する人たち、私たちが出すごみを集める人たちにも支えられている。今現在、こうした業界では、権力は雇用主側に傾いていて、雇用主は労働者が使える資源がほとんどない状況を巧みに利用している。これらは確かに今は「悪い仕事」だが、良くなる可能性もある。場所や時代が違えば、良い仕事として存在している、あるいは存在していたのだから。
報酬労働法は、自社株買いの一部は認める一方で、従業員をないがしろにして株主に報いるこの行為の回数を制限するとしている。第5章で学んだように、企業には収益と投資家の利益を最大化する義務があるという考えは事実ではない。しかし、その影響力はあまりにも強く、今では多くのCEO、企業弁護士、ジャーナリストが真実だと思っている。従業員を含めたあらゆるステークホルダーに対して、取締役会が明確な説明責任を負うように法を改正すれば、この悪しき言念もなくせるかもしれない。
限界生産力を把握するのはきわめて難しいというノア・スミスの主張に対して、タイラー・コーエンは、個人の実績を測る手法が改善したために、それが原動力になって格差が広がっていると反論する。コーエンは「誰が何を生産したか測定できるようになるにつれて、たくさん生産する人とそうではない人の賃金の差は大きくなっている」と言う。
給与の額が妥当だと感じている人の割合は、2002年も2018年も50%くらいだ。一方、もらいすぎだと感じている人はほとんどいない。
情報には力があり、情報の共有はその力を拡散させる」とジェフリー・フェファーは書いている
「報酬が測定実績に紐づけられると必ず、測定執着が改竄を招いてしまうのだ」。スキャンダルに巻きこまれた者の多くは、連邦政府が押しつけてきた生徒の学力による定義に異議を唱えた。
学界の一般的な流れとしては、成果主義による給与制度の導入には警鐘を鳴らす方向に向かっている。最近の研究からは、そうした制度を採用した企業では業務中に怪我をする率が高くなり、企業の業績も製品の品質も下がる傾向にあることがわかっている。
測定の問題は、適切な基準をつくるにあたって選択肢が多すぎることではない。現代の仕事の多くでは、限界生産力を測ろうとしても、その試みはすべて誤った方向に向かってしまう。正しい方法が開発されていないからではなく、組織のなかである労働者と別の労働者の生産性を分けることはできないからだ。生産性は努力の集合体、社会的に成し遂げられるものとして理解されるべきであり、組織の目標を達成するために働く一人一人の仕事の総計として考えるべきではない。
賃金はウォルマートのDNAに刻みこまれている。
現在、ウォルマートは約150万人のアメリカ人を直接雇用している。2019年には約157万人だった。つまり、アメリカの雇用の100件に1件はウォルマートという計算になる。連邦政府をのぞいてそんな雇用主はない。
株主資本主義とは、収益が労働者ではなく、経営者と株主に分配されるようになったシステムである°これが、ここ数十年のアメリカ人労働者の賃金の停滞につながっている。
株主資本主義とは、収益が労働者ではなく、経営者と株主に分配されるようになったシステムである°これが、ここ数十年のアメリカ人労働者の賃金の停滞につながっている。労働者の賃金は、さまざまな形で影響を受けている。もっとも大きいのは、給与そのものの削減である。株主資本主義が広まるにつれて、給与が株価と連動するようになった経営者は、手っ取り早く利益をあげる戦略に走った。売上を伸ばすという、時間がかかって不確実な道を行くのではなく、最終損益を改善するという近道を取ったのである。コストを削減し、資産効率を求める投資家の気をひくために、人員削減を選択した・その効果はすぐに出る。もちろん、労働者にとっては痛みもやってくる。合併や買収の増加は人員整理に拍車をかけ、新しくできた企業の余剰人員は出ていくドアを示される。合併を防ぐために人員整理が行なわれることもめずらしくないという。 ライバル企業に飲みこまれないように、財政面を補強しようというのである。
一方で、正しく記憶されていたことが一つある。これらの職業は、大学に行かなかった人たちに十分な給与を払い、安全と安定をもたらすのに貢献したということだ。これは、白人だけではなく、アフリカ系アメリカ人にとってもそうだった。工場には人種差別が蔓延していたが、そこでの仕事は彼らにとって黄金の切符であり、数十万人というアフリカ系アメリカ人が中西部や北東部に広がる製造業の拠点を目指して北上した。
ロイターの記者ティモシー・アペルは、2017年に中西部の小さな工業都市を訪ねた際、人々がこれ以 時の出げを必要としていないことに驚いた。「この町の人々にとっての問題は、量ではなく質である」
今の技術は、荷物を積んで降ろすまでの時間を自動的に算出するし、何か規則に違反したときには記録する。つまり、雇用主は運転手の正確な生産性を測ることができる。そして、それが数十年前に劣らないことがわかっている。それどころか、1970年代末の運転手に比べて生産性が2倍になっているとする測定結果もある。生産性については十分だろう。
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生きていくことは時として無様で格好悪く、救いようのない場面に出くわすこともある。人生良くも悪くも予定どおりになどいかないのだ。それでもわれわれは日常という名の積み重ねである人生を生き続ける。
某月某日衝動買い:「われに返る」その前に 「今日、家を買おう」と決めて住宅展示場を訪れるお客はあまりいない。ほとんどの人が、漠然と「家でも見てみよう」くらいの感覚で展示場を訪れる。 昔から「住宅は衝動買い」とも言われる。今日家を買おうとは思っていない人に、今日家を買わせるのが住宅営業マンの仕事なのだ。 住宅展示場という”夢の国”に来て、新築住宅の魅力に触れる。そこで営業マンから、希望の間取りや設備を見せられ、漠然とした夢に具体的な「色」がついてくる。ここが購買意欲のピークとなるのだ。逆にいえば、住宅展示場に初めて来たときから時間が経てば経つほど、購買意欲=契約率は下がっていく。
不思議なことがある。身の丈に合わない住宅ローンを支払い続けていた生活のときより、今のほうが圧倒的に幸せなのだ。
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ロバのスーコと旅をする
4 quotesそういう時、山のよりどころにしたのは、アメリカ人作家スタインベックの『チャーリーとの旅』という本だった。六〇歳目前で、愛犬のチャーリーを連れてアメリカ一周の旅に出たスタインベックは、「結局のところ、風来坊はずうっと風来坊なのだ。おそらく不治の病だろう」と言ってい
イラン人は私が日本人だと分かると例外なく親切だった。けれども、そんなホスピタリティあふれるイラン人がアフガン人にとる態度はいったいどんな感情から湧いてくるのか、私にはよく分からなかった。「分かっているのは、分からないということだけ」。私は昔読んだある本の一節を毎日のように反鍋しながら歩き続けた。分かっているのは、分からないということだけだ、と。
ロバと馬の大きな違いは鳴き声にある。馬には「いななく」という言葉があるように、独特の趣や美しさを感じさせるが、ロバの鳴き声は管楽器が壊れたような、ひどい音なのだ。ソロツベは視界に馬が入るたびにヴァーピーッと鳴き叫んだ。私にはそれが、自分はロバではなく馬になりたかったという叫びにも聞こえるのだった。
ロバとの旅そのものが寓話のようなものではないかと自分で自分に突っ込みを入れたくなった。私はいま、寓話のような世界を生きている。だが、その寓話が終わった時、どんな世界が待ち受けているのだろうと思うと少しばかり不安になった。
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晩年 (岩波文庫 緑90-8)
17 quotes祖母は私が小学校を卒業する頃なくなったが、白い着物を着せられ小さくかじかんだ曽祖母の姿を納棺の際ちらと見た私は、この姿がこののちながく私の眼にこびりついたらどうしようと、心配した。
私はこの弟にだけはなにもかも許した。私はその頃、人と対するときには、みんな押し隠してだうか、みんなさらけ出してうか、どちらかであったのである。私たちはなんでも打ち明けて話した。
。私は頼まれもせぬのに、テツさん
を見送ってやろうと即座に覚悟をきめた。私にはそんな軽はずみなことをしがちな悲し
い超性があったのである。
あれは女優と言って、舞台にいるときよりも素面でいるときのほうが芝居の上手な姿で、おおお、またおれの奥の虫歯がいたんで来た。あれは地主と言って、自分もまた労働しているとしじゅう弁明ばかりしている小胆者だが、
よせ、よせ。降りて来いよ。ここはいいところだよ。日が当るし、木があるし、水
の音が聞えるし、それにだいいち、めしの心配がいらないのだよ。」
一八九六年、六月のなかば、ロンドン博物館附属動物園の事務所に、日本猿の意志が報ぜられた。行方が知れぬのである。しかも、一匹でなかった。二匹である。
青年たちはいつでも本気に議論をしない。お互いに相手の神経へふれまいふれまいと最大限度の注意をしつつ、おのれの神経をも大切にかばっている。むだな侮りを受けたくないのである。しかも、ひとたび傷つけば、相手を殺すかおのれが死ぬるか、きっとそこまで思いつめる。だから、あらそいをいやがるのだ。彼等は、よい加減なごまかしの言葉を数多く知っている。
あの屋あの屋根のしたに、いまの女と、それから彼女の亭主とが寝起している。なんの奇
もない屋根のしたに、知らせて置きたい生活がある。ここへろ
あまたの子供のなかにひとりくらいの馬鹿がいたほうが、かえって生彩があってよいと思っていた。そ
あああ。喧嘩の上手になりたいな。人間、こんな莫迦げた目にあったときには理窟もくそもないものだ。人に触れたら、人を斬る。
馬に触れたら、馬を斬る。それがよいのだ。その日から三年のあいだ次郎兵衛はこっそり喧嘩の修行をした。
のない生活。その言葉からしてすでに嘘であった。美きものを美しと言い、悪しきものを悪しという。それも嘘であった。だいいち美きものを美しと言いだす心に嘘があろう。あれも汚い、これも汚い、と三郎は毎夜ねむられぬ苦しみをした。三郎はやがてひとつの態度を見つけた。無意志無感動の痴呆の態度であった。風のように生きることである。三郎は日常の行動をすべて暦にまかせた。暦のうらないにまかせた。たのしみは、夜夜、夢を見ることであった。青草の景色もあれば、胸のときめく娘もいた。
私は誰にも知られずに狂い、やがて誰にも知られずに直っていた。
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庭の話
20 quotesそのプロパガンダとはかつてのように、英雄の活躍を一方的に発信するものではなく、それを受け取った人びとにボールを預け、シュートをうながすパスであることによってしか成立しない新しいかたちのものだ。クレムリンにスーツで君臨し、陰謀論めいた国民の物語を語るプーチンの旧態依然とした独裁者のイメージをなぞる振る舞いに対し、カメラの前にTシャツ一枚で登場し、ロシアの非道への抵抗と、ウクライナへの人道的な支援を呼びかけるゼレンスキーの「役者の違い」は明白だ。そして両者の情報へのアプローチの差こそが、戦局に大きく反映されていたのだ。
Sonewhere な人びとの大半は、ネジや歯車のような生に耐えるため、承認を求めてプラットフォーム上の相互評価のゲームをプレイする。そしてその低コストな承認の獲得のもつ中毒性で考える意志と力を失い、やがてゲームプレイを自己目的化するようになる。その結果として彼らはAnywhere な人びとに動員され、換金されていく。 そしてここで留意したいのがこのように Somewhere な人びとを中毒にして換金するプラットフォームの運営者たち=Anywhere な人びともまた、皮肉にも同じ構造の罠に陥っていることだ。なぜならばSomewhere な人びとのプレイする二十一世紀のヘグレート・ゲーム>とは、Anywhere な人びとのプレイする金融資本主義という上位のゲームのデッドコピーにほかならないからだ。
そして、いま人びとはプラットフォームの要求する相互評価のゲームの速度に追いつくために、拙速なコミュニケーションを無反省に重ね、問題の内容ではなく他人の顔色だけを読み、考えることを放棄してより愚かになっていこうとしている。そして、インターネットが実現したはずの多様性をみずから放棄しようとしているのだ。
その結果として、人間は問題そのものに関与する動機を失い、そして世界のあるレベルから多様性は失われている。そこでここでは経済=場=プラットフォームから、そこで展開するゲームが与える快楽を相対化する方法を考えたい。それも家族とか、国家とか、そうしたつい最近まで、いや、こうしている今も多くの人びとを呪い、縛りつけているものに回帰することなく、プラットフォームの時代を内破することを考えたい。それが本書の主題だ。
人びとは自分の物語を求めて、ハッシュタグのついた実空間に動員されていった。もちろん、人間はそこで何ものにも出会うことはない。あらかじめ、ハッシュタグによって自覚された予定調和の事物にしか出会えない。街を歩いても、目当てのハッシュタグのついたもの以外目に入らなくなる。名所旧跡の前でセルフィーを撮る観光客が何ものにも出会えていないように。代わりに、彼らは相互評価のゲームに閉じこめられる。ハッシュタグとは、すでに多くの人びとが話題にしている事物を可視化する装置だ。彼らが触れているのは、事物ではなく人気のハッシュタグ=他のプレイヤーたちの発信の生んだタイムラインの潮流でしかないのだ。こうして実空間はサイバースペースに従属し、この閉じた相互評価のネットワークの内部に回収されたのだ。
私たちはまず、人間間のコミュニケーションは、放置すれば画一化するという事実を受け入れ、人為的な介入が必要であることを認めるべきなのだ。今日のインターネットは、人間間の承認の交換という雑藪に覆われ、それ以外の生物(コミュニケーション)が衰徴した、暗く、貧しい森なのだ。
この「わかりづらさ」を引き受けることこそが重要だと鞍田は述べる。そのわかりづらさによって確保される、ばらばらのまま人びとがつながっている状態しそれを、鞍田は夫である鞍田崇の議論を援用しつっ、ある言葉で説明する。それが、精神科医ジャン・ウリの提唱する「コレクティフ (collectif)」という概念だ。
他の誰かの自意識を感じさせる事物は、それを用いる人間の「手に馴染む」ことがなく、世界とのつながりを感じさせないからだ。前者をクリアしないためにエ業製品は、後者をクリアしないために美術品はそれぞれインティマシーを発揮することはない。
では、このとき二十一世紀のグレート・ゲームのプレイヤーー匿名で中傷を反復するプラットフォーム上のユーザーーたちは、『ビリー・バッド』の登場人物たちと比べたとき、「自由」な状態に近いのだろうか、それとも「強制」された状態に近いのだろうか。残念ながら、そして恐るべきことに圧倒的に「自由」に近づいている。それが私の結論だ。
前提として誤解されているがそもそも共同体とは圧倒的に強者が得をするシステムだ。比喩的に述べれば「この子が狐憑きだと肩じる」こと、つまり同じ物語を共有している集団が共同体だ。そこには主役がいて、重要な脇役とそうでない脇役がいて、端役がいて、そして悪役(数)がいる。その存在理由を説明できない、つまり物語をもたない共同体は持続できず、物語はメンバーの役割と立場を決定する。「敵」を設定することがこの役割の分担を明確にして共同体の結東をより強固にする。
要するに、ここでは共同体の与える不自由とブロックチェーン上のスコアの与える不自由がトレードオフになってしまっている。つまり共同体の内部での人間関係における「承認」をベースにした経済は人間を不自由にする。しかしそれを緩和するためにブロックチェーン技術を用いた社会的な「評価」を導入するとゲームの敗者が再挑戦できないディストピアが訪れるのだ。
答えはすでに明らかだ。たとえその人がどこの誰で、過去に何があろうと百円を商店にもっていけば百円の醤油が買える社会こそが「正義」なのだ。
誤解してはいけない。それは、「誰でも気軽に覗ける」「ゆるやかな」「標榜する価値はすぐに変わる」共同体「だから」こそ、おこなわれているのだ。彼らの目的は「家」の、「共同体」の維持であり、そこで語られる物語の内容や石を投げられる「敵」の存在は手段にすぎないのだ。
そしてこれは吉本隆明が「関係の絶対性」という言葉で考えた問題の本質の露呈する現象でもあるのだ
彼にほんとうに必要だったのは、むしろひとりでいるからこそ豊かに事物に触れあえる環境だったのではないかと思うのだ。
城口安者の広く知られた小説に「戦争と一人の女』という短編がある。
しかし「女」の欲望はおそらく、そうではない。彼女の、世界が燃えるのをただ眺めたいという欲望は、実のところありふれたものに違いない。
「作庭」することだけで、問題は解決できない。現代の交通空間を構想し、サイバースペース/実空間に実装することーそれを本書は目的にしてきたが議論の結論はそれ「だけ」では問題は解決しない、というものだ。
ここで重要なのは、個人が世界に関与しうるという「手触り」のようなものだ。ここで人びとに与えられるべき「手触り」は必ずしも輝かしくロマンチックなものである必要はない。したがってシリコンバレー的なものに憧れをつのらせる人びとが主張するように、いつの間にか「勤め人」が支配的になったこの国の産業社会を変えるために、彼ら/彼女らに対して意識高く「起業」をうながす必要などはまったくない。この例でいえばむしろ近年ようやく普及してきた副業や複業で「弱く」自立するモデルが、今日の日本においてはある程度有効だろう。
おそらく現代を生きる人類の大半が、好きなものを好きなように(所持金の許す範囲で)買う快楽よりも、情報発信によって不特定多数に認められる快楽のほうを重視している......というか、ふつうに「コスパがいい」ので優先的に追求しているはずだ。今日において、人間にとってもっとも簡単な自己表現は発信者になることだ。正確には、タイムライン上に無数に発生している共同性に接続し、敵を名指しして味方からの承認を獲得することがもっともコストパフォーマンスに優れた承認欲求を満たすための回路になる。
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調査する人生
10 quotes「俺ゲイやねん」と言った時に、「そんなこと関係ないよ、君は人として好きだから、人としてこれまで通り変わらない友達だよ」と良心的な人が言っちゃう。それは実はタブーで、それ言われるとせっかくカミングアウトしたのにそれを無にされた感じがして、傷ついてしまう、と…???・。
社会の本質はどっちかというと、つながってない、交換できない、ものすごい分断されてるところにあるんじゃないかと思って。
仕事でも、市場経済的なところでは交換可能。でも社会的なところを見ると、人は交換できないし、その人の立場には立てないし、その人の気持ちはわからない。たとえば、ぼくは長年沖縄に関わってはいるけど、いつでもぼくはそれを止めることができる。
選択肢があるんです。でも沖縄で生まれ育って、基地の側で暮らしている人びとは、その暮らしを「降りる」ことがとても難しい。そこにすごく「実在的なもの」を感じるんですよね。
私はそもそも社会問題を解決したいという発想は薄いんですよね。
それよりはもうちょっと現実を知りたいとか、当時は女性のホームレスの人から、女性の先輩としての生き方を聞きたいという興味の方が先にありました。
一般的に研究者に求められる役割って、「資本主義を乗り越えよう」みたいな、大きなことを言うことなのかもしれない。でもこの本を読むと、ここで描かれたディテールを通じて、人びとはそこで生きているんだな、ということが直接伝わってくる。人はそれぞれのところで、みんな、生きているんだなと、ものすごく感じる。
人ってだいたい、私自身も含めて矛盾を抱えて生きているものじゃないですか。
私はそういうのが見えた時に人間らしさを感じる。それが単に好きなんですよね。
貧困の問題は「することがない」ことの問題ともつながっている。単に所得が低い、失業が長いことだけで貧困は語れないように思います。スラムでは「すること」を求めてドラッグに手を出したり、インフォーマルなことをやったりする人が多い。
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ボクスターの生活を送りたいとは思いません。だって、ボクスターを手に入れたら、つぎは911に乗りたくなりますからね。その911を持っている人たちが何に乗りたがっていると思います?フェラーリですよ”。
ソクラテスは、吟味されない人生は生きる価値がないと言った。わたしたちもそろそろ、自分の人生における刷りこみやアンカーをよくよく検討していいころだ。
経済的交流の場では、わたしたちはどこまでも利己的で不公平だ。そして、自分の財布に従うのが正しいことだと考える。
需要の理論はたしかなものであるしただし、値段ゼロを扱うときを除いて。やりとりに金銭が絡まないとなると、かならず社会規範がついてくる。
マイクは、アップルのiBookを引っぱりだした。今回は、キーボードも画面も薄い サランラップで覆われている。 ロイが渋い顔をした。「コンピューターが妊娠するとは知らなかったよ」
わたしたちはみんな、いかに「いい」人であろうと、情熱が自分の行動におよぼす影響を甘く見ている。わたしたちの実験の協力者は、すべてにおいて判断を誤った。もっとも聡明で合理的な人でも、情熱のただ中では、自分が思っている自分とは完全にすっぱりと切りはなされてしまうようだ。しかも、ただ自分について誤った予想をするというだけでなく、その誤りの程度が甚だしい。 今回の研究によると、ロイはほとんどいつも思慮があり、礼儀正しく、理性的で、親切で、信頼できる。前頭葉がしっかり機能していて、自分の行動もコントロールできている。 ところが、性的に興奮した状態になり、爬虫類の脳が取ってかわると、自分で自分だと見わけられないほど豹変してしまう。
人間のさまざまな種類の欠点に打ちつには、長期目標のためにとるべきあまり喜ばしくない行動に対して、目先の強力なプラスの強化を与える奥の手を探すのが有効だと思う。わたしの場合、副作用を感じる前に映画を観はじめるのが治療の不快さに耐える助けになった。
予測は、人生のさまざまな領域において、わたしたちがものごとをどう経験するかという部分でとてつもない役割を果たしている。
お金という奇妙なもの というわけで、最初の主張にもどる。お金とはなんと奇妙なものではないか。現金が絡むと、わたしたちは倫理規定に署名でもしたかのように、自分の行動について考えようという心持ちになる。それどころか、一ドル札などは、意図的に契約書を思い浮かべるようなデザインにしたのではないかと思うほどだ。目
まず、レストランでは、ウェイターがやってくる前に注文を決め、それを変えないことだ。まわりの人が選んだものに影響されると、いまひとつのものを選んでしまいかねない。
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ブレイクショットの軌跡
7 quotesところが、我らがホワイトハウスは車種名が分からなかった。しばらくの間、僕らは「逆ハンドル」という間抜けな名前で呼ばれていた。
欲望にも能力にも限界がないのなら、一体なにによって宮苑は満たされるのだろうか。
「やっぱり、家族ができると変わるもんすか」 翔が、不安と期待の交じった口調で尋ねた。その質問に対して、友彦は迷わなかった。 「変わるなあ。本当に変わる。自分のためだと思ってると結局自分を大事にしてない奴はさぼれちゃうけど、俺が頑張らなきゃ大事な人がつらいって思ったら、やるしかないじゃん」
真田は分かりやすく上機嫌になった。実際のところ、年収が七百万円前後であれば確かに平均を有意に上回るものの、富裕層とはほど遠い。しかし、ワンルームマンション投資の対象としては最も落としやすい客層だった。年若くして平均よりも多くの所得を得ている人間は、自分がエリートであると思いたがる。
確かにそうなのだ。毎月の出費を前提に税金控除を受けるのが目的の場合、個人年金制度であるiDecoなら支出額を完全にコントロール可能だし、拠出した元本が毀損される恐れも投資用マンションより遥かに小さい。市川にワンルームでハション投資を諦めさせるならその文句だ。
だが、少数者には常に「禁足地」が存在する。現代のゲイの場合、スポーツ界がそれだ。
目的と手段。夢と金。その関係は容易に入れ替わる。不安解消のためセミナーとカウンセリングを受けて、それにより現状を肯定する人間はほとんどいない。現在かなりの資産を持っているものでさえ、さらなる資産増加が必要という結論にたどりつく。
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この世の喜びよ (講談社文庫)
4 quotesあなたは風景ならいつまでも覚えておける、スポーツセンターの駐車場に敷かれた黄色い芝生が、太陽で粉っぽくなったにおいも思い出せる。それの横は不動産屋で、中のおじいさんが通学時にはいつも外に出て、小学生の相手をしていた。
少女の目には戻が盛り上がっているように見え、自分の思いを主張しているうちに泣いてしまうというのは、若い時にはよくあった、胸ってすぐに詰まるもの、とあなたは思い出した。
うちの蛇口、お湯になるまで結構待つんですけど、そいつ流しっぱなしにするんですよね、ぼんやりして。俺なんか水しか出ない間に傍にあるコップとか、なかったら手でもずっと洗っといちゃいますけどね、金持ちだからかな。
を出してくれる人などいなければ、食器棚を開いてこれは沖縄で買った皿、これはおじいちゃんのビール用の脚付きグラス、と数えながら撫でていく、それで何時間でも過ごす。人以外のものを眺めている、そういう時くらいにしか喜びはないのかもしれない。
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LIFE3.0 人工知能時代に人間であるということ
3 quotesほとんどのAI研究者はそれとは逆に、ゼロから超人的AGIを作るのよりも、強化された脳やデジタルの脳を作るほうが難しいと考えている。 ちょうど、飛行機よりも機械仕掛けの鳥を作るほうが難しいのと同じだ。
人工の心が持つ感じ方の範囲は人間の心よりはるかに広いと考えられる。そのため、AIを擬人化して、AIも典型的な人間と似た感情を持つと決めつけたいと思ったとしても、その衝動は抑えなければならない。もっと言うなら、何らかの感情を持つと決めつけることもできない。
一見したところ何の目標も持たずに跳ね回る素粒子の集団にすぎなかった初期宇宙の物理から、どのようにしてこのような目標指向的な振る舞いが出現したのだろうか?古代以来、哲学者は、反論の余地のない原理と論理だけを使って一から倫理(我々の取るべき振る舞いを支配する原理)を導くことを夢見てきた。しかし残念ながら、数千年かかって意見が一致したのは、「一致した意見などない」という点だけである・
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結局、人生最後に残る趣味は何か
1 quotes本気で、大真面目にやったほうがいい。「趣味だから、まあこの程度でいいだろう」という限界を定めずに、無限の向上心と熱意とを持って、ともかくやめることなく継続する。継続すれば、必ず上達できますし、最終的には、それが思いもかけない自己実現にもつながるというものです。
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なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書)
8 quotes疲れたサラリーマン諸君へ、『痴人の愛』 つまり「読者諸君の参考資料になる」とは、「こんなことも、読者諸君の身に起こりうるかもよ!」と言っているのに等しい。
つまり読書は常に、階級の差異を確認し、そして優越を示すための道具になりやすい。
90年代半ばを経て、〈内面〉の時代は、〈行動〉の時代に移行する。
読書とはノイズである 読書は、労働のノイズになる
90年代以降の〈経済の時代〉あるいは〈行動の時代〉においては、社会のことを知っても、自分には関係がない。それよりも自分自身でコントロールできるものに注力した方がいい。そこにあるのは、市場適合あるいは自己管理の欲望なのだ。
「作家」の説明には「最後の職業」とある。さまざまな体験や職業を経てからなっても遅くはない、犯罪者でもなれる職業なんだから焦ってやる必要はない、という意である。20代で鮮烈なデビューをかました村上龍にだけは言われたくねえ、と思う。
働いていて、本が読めなくてもインターネットができるのは、自分の今、求めていない情報が出てきづらいからだ。
私が提案している「半身で働く社会」
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女の子の謎を解く
4 quotesある種の大人になる通過儀礼の景色のように、少女は働く。少年漫画だとそれは「冒険」になるのかもしれない。しかし少女は、大人になるために、働くことが多い。
ちょっとださい言い方になってしまうが、AKB48 は、「新自由主義のなかで誕生したアイドル」だからだ。
本章はさまざまな形のシスターフッドを取り上げたが、恋愛や結婚や家族ではない関係性で人々が支え合い共鳴する物語は、近年さらに増えているように感じる。 とくに女性の場合は、結婚や育児によってなかなか友人との時間がとれなくなったり、結婚を男性よりも求められる世間の圧力が強いという背景があるからこそ、余計にフィクションにおいては「結婚ではない」形の関係性が望まれるのかもしれない。 多様なシスターフッド、連帯の物語こそ、私たちが今本当に得たいユートピアのようにも見えるのだ。
父親は、葛藤が生まれるほどの存在感を持たない。それが今の娘や息子たちの感覚だとすれば、血縁への抵抗が、母親に対する葛藤に集中するのは無理もない。おそらくW村上の時代は父親の存在感がまだあった。昭和のホームドラマといえば、『サザエさん』。の波平、『寺内貫太郎一家』の寺内貫太郎など、父親の姿が不可分だった。でも今は父親なんていないから、父殺しも何もないんだろう。
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企業参謀☆〔新装版〕☆
4 quotes物事の本質を 考えるときには、どうしてもこの「混然一体」としたものを解きほぐすことが必要である。そして、解きほぐされた個々の要素が全体に与える影響というものを理解することが必要なのである。
非線型思考の重要性 「戦略的」と私が考えている思考の根底にあるのは、一見混然一体となっていたり、常識というパッケージに包まれてしまっていたりする事象を分析し、ものの本質に基づいてバラバラにしたうえでそれぞれの持つ意味あいを自分にとって最も有利となるように組み立てたうえで、攻勢に転じるやり方である。 個々の要素の特質をよく理解したうえで、今度はもう一度人間の頭の極限を使って組み立てていく思考方法である。世の中の事象は、必ずしも線型ではないから、要素をつなぎ合わせていくときに最も頼りになるのは(システムズアナリシスなどの方法論ではなく)、この世に存在する最も非線型的思考道具である人間の頭脳であるはずである。
私は、この段階で重要なことは、 「問題点の絞り方を現象追随的に行うこと」であると思う。 このプロセスを抽象化のプロセスと呼んでもよい。
なぜなら、計画というものは仮定のうえに成り立っており目標値である。これが達成されなかったときに、「残念でした」というだけでは計画の意義が出てこない。ここはあくまでフィードバックし、目標不達成の原因分析と、早急な対策が練られる手段を内蔵していなくてはならない。また、担当の管理職の努力のぐあいも適正に評価できなくてはならない。基本ケースの仮定に誤りがあるのに、販売部長が販売計画(の絶対値)を達成しなかったという理由で間責されるのはかなわない。
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無職転生 ~異世界行ったら本気だす~ スペシャルブック (MFブックス)
5 quotesてんせい 3 ま、やれることはやっているのだ。 失敗しても後からフォローすればいい。 気楽にいこう、気楽に。 途中からは、そう思えるようになっていった。 決して、失敗を軽くみているつもりはない。 ただ、肩の力を抜くという、当たり前のことを実践できるようになっただけだ。
5 最近は忘れていたが、同じ過ちを繰り返さないと。 この世界では本気で生きると、誓ったはずだ。 今回は、規模こそ大きくなったが、同じことをしている。 六年前と、同じことをしている。 俺たちは同じ失敗を繰り返している。成長したつもりになって、前に進んだつもりになって、ずっと同じ場所で足踏みしていたのだ。それに関しては、素直に反省しよう。 そして、反省した上で、先に進もう。 6
た。 俺たちの頼れる戦士ルイジェルドは、涙なんて流さない強い男なのだ。
12 ロキシーの教えは俺の基礎にある。「外に出て、人と話す」、「誰とでも、偏見なく仲良くする」、「いつでも一生懸命頑張る」そんな教えは、俺の底に根付いている。 だからこそ、ルイジェルドともいい関係を築けたのだ。教えを守れない時も確かにあったが、しかしそれはそれ。人間は常に最高の状態でいられるわけではないのだ。 大切なのは、守れたかどうかではない。根本にあるかどうかだ。
た。 「子供も生まれて親にもなったし、すぐに大人にならなくちゃとは思うけど。きっと、もっとたくさん失敗して、いっぱい悩みながら、少しずつ、ゆっくり変わっていかなきゃ、大人にはなれないんだろうな。でも、父さんもそうだったろうし、俺も頑張るよ」
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ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち
10 quotesTO「ネットワークは、ボランティアの運営する世界中に散らばった中継ノードを暗号化通路として繋げることで匿名的な通信を可能にする。自己同一性から解き放たれた私たちは、どこかにアクセスするたびに、ウクライナ、シンガポール、ドイツ、ラトビアを一瞬で経由する。
私たちは、あらゆるところに存在しているともいえるし、どこにも存在していないともいえる。 「私は遍在する」(5) serial experiments lain
デヴィッド・ケレケスとデヴィッド・ストレイターによる共著『キリング・フォー・ カルチャー――殺しの映像』(フィルムアート社)という、スナッフフィルムなどの「死」にまつわる映像の歴史を体系的にまとめた労作がある。
ハッカー思想に影響を与えたハキム・ベイ〈演〉の「一時的自律ゾーン」のコンセプトや、 海上にリバタリアンの自治国家を建設する「海上都市(seasteading)」構想〈5〉はもちろん、異種族(otherkin) カルチャー (15) における「エルフ国宣言 (1) (Elven Nation Manifesto)」、さらにはアメリカのブラックミュージックに見られる宇宙脱出志向(ブラック・サイエンス・フィクション())、
そして補論2で詳述するインターネット上のSF的疑似宗教 「TSUKI Project」に至るまで、アメリカが生み出した多様なカウンターカルチャーは、往々にしてこの「独立」へのオブセッショゾとそれに伴うアポリア(二律背反)を孕んでいる。
そして、日本人は当然このオブセッションとアポリアを共有していない。日本人には「独立」
によって自分たちの「権利」を勝ち取ったという経験がない。おそらくここに、日本のインターネット文化にアメリカのカウンターカルチャーの文脈が十分に流入されてこなかったことの遠因の一つがあるのだと思う。
トランプ現象を含めたここ数年のインターネットの空気は、結局リベラル的価値観が機能不
全に陥っていることの現れなのかもしれない。もはや人々は、「平等」や「民主主義」などの普遍的だと思われていた価値観を信じていない、というより、信じることができない。それは言い換えれば、「私たちの住む社会はより良くなっていく」という、近代西欧が育んできた「進歩史観」そのものに対する不信感でもあるのではないか。閉塞した現代社会を生きる私たちは、 今よりもマシな社会が訪れることをもはや想像してみることすらできない。
ブロックチェーンの未来について筆者は何もいうべき言葉を持たない。しかし、ブロックチェーンがポストWEBを象徴する一つの形であることは確かだ。WEBは死んだかもしれないが、インターネットは死なない。
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疲労とはなにか すべてはウイルスが知っていた (ブルーバックス)
4 quotes『スター・ウォーズ』では主人公のアナキン・スカイウォーカーが、「恐れ」にとらわれたた めにSITHのダークサイドに落ちて、怒りと憎しみを抱き、それによって強い力を得ます。 われわれは、HHV-6の感染によってSITH-1を獲得した人類にも、これと同様のこ とが起きたと考えています。SITH-1によって不安が亢進することで、怒りと憎しみ、そ して強い力を得たのではないかということです。
過剰なトレーニングをすると、うつ病のような症状が現れることが あるのです。それが「オーバートレーニング症候群」と呼ばれる疾患です。
その原因は、これまで本書で述べてきたことから導き出すことができます。
運動による生理的疲労は、eIF2aのリン酸化を亢進させてHHV-6を再活性化するので、 唾液中のHHV-6が増加します。その結果、SITH-1が発現しやすくなり、嗅球が障害 されて脳のコリン作動性抗炎症の作用が低下する可能性が高まります。これに、生理的疲労 よる炎症性サイトカインという火種が重なると、脳内炎症、すなわち病的疲労が生じるのです。
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川と人類の文明史
4 quotes現在、川は、その積み荷を海まで運ぶのに苦戦している。ガチガチに固められた都市部を通り、 ダムに阻まれ、工学者により管理され、ほとんどの人からは顧みられることもない。それでも、 最後に勝つのは川なのだ。人間がいなくなっても川は存在し続けるのだから。 だが人間はといえば、川がなくては生き延びられない。
このユリウス・カエサルによる渡河の決断によって、ローマ共和国は内戦へと突入。最終的に
勝利を収めたのはカエサルだった。その5年後にカエサルは暗殺されるのだが、それまでに彼が 次々と実行した大規模な政治改革によって、ローマ共和国は巨大なローマ帝国へと変貌を遂げた。 伝えられるところによると、禁を破りルビコン川を渡ったときのカエサルの言葉が、「賽は投げ られた」だという。また、今日でも、「ルビコン川を渡る」は、あとに引けない決定的な行動に 出るという意味でよく使われている。
成人の被験者たちが、アナーバーの公園を1人で50分間散歩すると認知能力が明らかに回復し、逆に都 会の賑やかな繁華街を散歩すると認知能力が低下したというのだ。この成人の脳機能の改善は、 被験者の気分や、天候などの外的要因に関係なく観察された。
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物価とは何か (講談社選書メチエ)
26 quotes自分の知らない、けれどなんとなくそうかもと思っていることが大量に出てきて面白かった。 描き方も面白い
ハイパーインフレの事例を調べた研究では、高インフレを起こす仕組みとして、物価がX%の率で上がると皆が予想し、?その予想を踏まえて企業や店舗が値札を書き換える、?その結果実際にその率で物価が上がる、というメカニズムが考えられるようになりました。この仕組みは、人々が予想したことが実際に実現されるので「自己実現的予想」とよばれています。これによって起こるのが「自己実現的インフレ」です。
ある国のデジタル貨幣の使い勝手がよくて、国境を超えて利用されるということが近い将来ありえるかもしれません。そうなると、それぞれの国の中央銀行が自分の発行した貨幣で測った物価を安定させるという、現在の姿とは大きく違ってきます。そうした中で、今後も、ノミナルアンカーのあるべき姿について議論が続くことでしょう。
人々の予想するXが高すぎる状況に対しては、Xがどれほど高くても、その予想を潰すことができます。これに対して、Xが低すぎる場合には、臨界点を超えると対応不能であり、その予想を潰せません。この意味で、中央銀行が物価をコントロールする能力は、インフレとデフレで非対称なのです。
二○二一年現在、日本や米国・欧州などの先進各国は一○○年ぶりに金利ゼロの飽和点にいます。
これは人々のインフレ予想(つまりXの値)を引き下げ、ゼロの近くで安定させるという政策を各国で追求してきた成果とも言えます。ここに至るまでの先人たちのインフレ克服に向けた努力に敬意を表しつつ、フリードマンの思い描いた、至福の世界を堪能すべきでしょう。
メニューを更新したくないという理由で価格据え置きが起こるーこれが「メニューコスト仮説」です
彼は一九七一年に刊行した著作の中で、「情報は何かを消費する。それは情報の受け手の関心(Attention)だ」と記しています。
少々わかりにくいですが、キーワードは「消費」です。私たちがある事柄について知るには、その
事柄に関心をもつ必要があります。そのことを指して、関心を消費するとサイモンは言っています。彼のいう消費とは、限りあるものを使って、それがなくなってしまうということを意味します。私たちがもっている関心の総量には限りがあり、ある事柄について情報を取得し咀嚼するには、限りある資源である関心をその事柄のために割かなければなりません。総量の天井がある以上、何かに関心を割けば、その分だけ別の事柄に割く関心が少なくなります。これがサイモンの言いたかったことの核心です。
視点からすれば、自分の身のまわりの話題にのみ関心をもつのがもっとも望ましい
のは明らかです。中央銀行や金融政策について関心をもつことは悪いことではありませんが、しかしそこに関心を割くことによって自分自身の生活がどれだけ改善するかと言えば、微々たるものだからです。
中央銀行に対する人々の関心も原理的にはこれと同様で、個人にとっての意義だけで考えると、関心が過少供給になります。中央銀行に対する関心の供給を適切なレベルまでもっていくには、各個人の意思決定に任せておいてはだめで、何らかの工夫により、中央銀行や政府が意思決定に介入する必要があります。
迅速さを優先してとりあえず何かを思いつかなければならないとき、私たちはたどりやすい(思い出しやすい)記憶や知識、つまり「利用しやすい」記憶や知識に頼ろうとします。これが利用可能性ヒューリスティックスです。これを最初に提唱したのは、行動経済学の創始者として有名なダニエル・カーネマンでした。 私たちのプロジェクトでは、この利用可能性ヒューリスティックスが人々のインフレ予想の形成にも用いられていると考えたのです。
そのチームのメンバーであるエコノミストから、「日本にはインフレというものを知らない、世界でも珍しい若者がいるのか」という質問がありました。他の国(とくにいまなお高インフレに悩む新興市場国)からすると、日本の若者は非常に珍しい部類に属するということをそのときはじめて認識しました。かつてのヒットソング「戦争を知らない子供たち」ならぬ、「インフレを知らない子供たち」です(そもそもこの歌自体、いまの若年層は知らないかもしれませんが)。
たとえば、何らかの理由でインフレにな
るリスクがあるときに、その予兆として警戒すべきは、値上げが広い範囲の商品で頻繁に起こることです。その反対に、ある商品の値上げ幅が極端に大きくなったとしても、頻度や商品の広がりに変化が見られないのであれば、それほど心配は要りません。恐れるべきは頻度で、幅は恐れるに足らずというのは、地震と好対照であり、興味深いところです。
謎
情報制約仮説
ふたり組みもらっていませんが、みつきの仮説と合
見も説明できるようになります。この点については後ほど詳しく説明します。
メニューコスト仮説は、ちっぽけなコストが失業や景気変動を生むという意外性が惹きつけるためか、物価理論の研究者たちのあいだでは非常に人気があります。価格硬直性を説明する仮説として今後も影響力を持ち続けることでしょう。ですが面白いことに、この仮説は実際に企業で価格をつけている人たちからはほとんど支持されていません。 では、企業は硬直性の理由を何と答えたかと言うと、「需要や原価の変化を見極めるのに時間がかる」「競合他社の動きを見極めるのに時間がかかる」といった、不確実性を理由に挙げる企業が多く、この二つを合わせると約半数になります。
価格据え置きは、深夜の「商品開発」が示すように、企業の行動を大きく歪め、その歪みは企業だけにとどまらず、社会全体のコストとなります。そう考えたときに私が注目したのは、「価格支配力アラインングパワー
(Pricingpower)」という言葉です。
ビジネスの現場では価格支配力はきわめて重要な評価基準です。伝説的な投資家ウォーレン・バフエットは、「その企業が投資に値するよい企業かそうでないか見抜くカギは、価格支配力の有無」と言い切っています。
政府が減税を行う、しかもその減税は恒久的なもので将来の増税で打ち消すようなことはしないと政府が約束する――そうすれば、貨幣のバックにある税収が将来減ると人々が予想するので、貨幣の魅力が落ちることになります。これでデフレ予想を潰せます。
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働くということ 「能力主義」を超えて (集英社新書)
7 quotes異なる立場。異なる生活。それでも案外、生きていれば共通した嘆きがあるように思う。 皆それぞれが、評価される人に/感謝され、大事にされる人に/興味を持ってもらえる人 に/推される人に/ケアされる人に・・・・・・なりたくて、もがいている。そうでなければ満足 に生きられないかのごとく、それぞれの道で必死だ。みんな、「選ばれたい」。
、「機嫌よくいろ」と言うのは、相手を黙らせるだけではないでしょうか。神学者で東 京女子大学学長の森本あんり先生も『不寛容論』の中で「『相手を心から受け入れ、違い を喜びなさい」というポストモダンのお説教」と表現しており、誠に溜飲が下がります。
いずれにせよ、万物は流転する中で、職場でいきいきといられるならば、それは誠に幸運なこと。無味乾燥に聞こえるかもしれませんが、それ以上でも以下でもありません。なぜなら、私たちのパフォーマンスを左右しているのは自分の能力だけによらないからです。 言動の「癖」や「傾向」は個人個人で違いがあります。その「持ち味」同士が周りの人の 味わいや、要求されている仕事内容とうまく噛み合ったときが「活躍」であり、「優秀」と称される状態なのではないでしょうか。
まとめると、現場の皆さんに足りないものがあるとするなら、それは、インプットでは なくアウトプットの場のほうです。分かりやすい成果を出す、なんて小難しい意味ではな く、「自分たち各々が持ち味を持ち寄って、すでにこんなふうにあんなふうに、どうにか やってきたよね」ということを吐き出してもらい、耳を傾け、承認し合う行為を理解し 合う、ということです。これが、個人の能力から他者との「関係性」にフォーカスしていく左右に、地味で、一見ばかばかしく、また牧歌的にも思えることなのですが、根源的に必要になる営みです。
ゴールを決めない、「完成」という概念があると、はなから思わない、とはまさに効率
やタイバの真逆中の真逆です。未来を決めつけず、今できることを周囲とがちゃがちゃ試 してみる。特に膝を打ったのは、(誰が何をしようと)「失敗前提ですよ、完璧があると思っ てないので。徐々に、ちょっとずつ変えていけばいいじゃないですか」
運」や「不運」は、各人にとっては、結局は自ら引き受けなければならないものであるとしても、社会の中で、自分の「幸運」は当然自分お権利であり、他人の「不運は」その人の「自己責任」であって、知ったことではないとするのは、同義的に正当とはいえないであろう。「運」「不運」は、他人と分かち合うことによって「偶然の専制」を和らげるべきではなかろうか。
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遠野物語・山の人生 (岩波文庫 青138-1)
5 quotes山の人生のみ
これも自分の遭遇ではあるが、あまり小さい時の事だから他人の話のような感じがする。四歳の春に弟が生まれて、自然に母の愛情注意も元ほどでなく、その上にいわゆる虫気むしけがあって機嫌きげんの悪い子供であったらしい。 中ryカウ 頻しきりに母に向かって神戸には叔母おばさんがあるかと尋ねたそうである。じつはないのだけれども他の事に気を取られて、母はいい加減な返事をしていたものと見える。 どこへ行くつもりかと尋ねたら、神戸の叔母さんのところへと答えたそうだが、自分の今幽かすかに記憶しているのは、抱かれて戻ってくる途みちの一つ二つの光景だけで、その他はことごとく後日に母や隣人から聴いた話である。前の横須賀から東京駅まできた女の児の話を聴いても、自分はおおよそ事情を想像し得る。
神隠しの少年の後日譚、彼らの宗教的行動が、近世の神道説に若干の影響を与えたのは怪しむに足らぬ。上古以来の民間の信仰においては、神隠しはまた一つの肝要なる霊界との交通方法であって、我々の無窮に対する考えかたは、終始この手続を通して進化してきたものであった。書物からの学問がようやく盛んなるにつれて、この方面は不当に馬鹿にせられた。そうして何が故に今なお我々の村の生活に、こんな風習が遺っていたのかを、説明することすらもできなくなろうとしている。それが自分のこの書物を書いて見たくなった理由である。
昔の精神錯乱と今日の発狂との著しい相異は、じつは本人に対する周囲の者の態度にある。我々の先祖たちは、むしろ怜悧れいりにしてかつ空想の豊かなる児童が時々変になって、凡人の知らぬ世界を見てきてくれることを望んだのである。すなわちたくさんの神隠しの不可思議を、説かぬ前から信じようとしていたのである。
盆とか祭の宵とかの人込みの中で、ふと行きちがって言葉などを掛けて別れ、おや今の男はこのごろいないといって家で騒いでいたはずだがと心づき、すぐに取って返して跡を追うて見たが、もうどこへ行っても影も見えなかった、という類の例ならば方々に伝えられている。これらは察するところ、樹下にきちんと脱ぎそろえた履物などと一様に、いかに若い者が気紛きまぐれな家出をする世の中になっても、なおその中には正しく神に召された者がありうることを我々の親たちが信じていようとした、努力の痕跡こんせきとも解しえられぬことはない。
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世界は経営でできている (講談社現代新書)
5 quotes母子関係は基本的に「私の子はいい子」の発想が強く(反対に父子関係は「い い子は私の子」という志向が強い)、子というだけでさまざまに世話を焼いてもらえる。 基本的には子でいること自体が母への価値提供幸せの源泉になっているため、子 は家庭内で顧客満足を求めて問題解決するインセンティブを持つ必要がない。
勉強においては「はじめに全体観を把握してから最も弱い部分を補強 していく」必要がある。さらに、最も弱い部分を補強した後には別の部分が最も弱い
部分となる。こうして次々に補強する部分を変化させることで全体の理解が進む。
こうして「自分にとって本当の目的、究極の目的は何か」を問いなおす余裕がなくな る。「長い目でみれば遠回りする方が良いかもしれない」という考え方ができなくな り、最善手を探索することも、本質を追究することもできなくなる。
人間とは、価値創造によって共同体全体の幸せを実現する、「経営人」なのである。
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ランニング登山 もうひとつの山登りの刺激的世界
2 quotes登山を仕事またはその一部と考えている登山プロを”登山家”、登山の素人ではあるが、山を精神高揚・肉体鍛錬の登場であり、高貴な趣味の対象だと本気で考えている人を”登山者”、そしてなんとか自分の足で登ることは上るが、人間が大地の上でも寝られるということを信じようとせず、デラックスな山小屋や便利な交通手段を可能な限り利用し、山岳レジャー産業の育成になんのためらいもなく貢献している人を”登山客”と呼ぶことにする。
山を走りに来たのだから、体力の続く限り時間短縮を図るのは当然で、予防線を張って妥協する気にはなれない。膝を故障する人は、走り方が悪いのであって、スピードはあまり関係がない。
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相手の持つ課題を、時間軸を考慮に入れながら、深く、広く、構造的に捉えて、その課題に最も効果的な解決策を提供できていることが、解像度が高い状態
広く原因を把握し、異なるアプローチや視点を幅広く検討することで、もともと考えていたのとは別のところにある原因や可能性に気づくことができます。
まずは「深さ」から始める ことをおすすめします。起業家を目指す方の中でもよく見られたのは、深さの不足でした。海外のスタートアップの表面的な真似はできているし、ビジネスモデル自体はありえるかもしれないものの、目の前の顧客の課題についてはほとんど掘り下げられておらず、解決策となる製品の内容もふわっとしている。そんなアイデアの提案はかなり頻繁にあります。起業の初期に受ける相談は、8割以上がそのような深さの足りないアイデアです。逆に言えば、「深さ」に注力することで、頭一つ抜けることができる、ということです。
どうやって深めるか」を中心に考えるようにしてみてください。そしてそのためには、思考だけではなく、行動を重視するようにしてみてください。本書が従来の思考の本と大きく違う点は、行動を通した思考を重視していることです。精細な情報を手に入れ
研究者が論文を書くときには、まず「分かっているところ」を調査で明確にすることで、「まだ分かっていないところ」を把握します。つまり、まずは「分からないこと」をはっきりと言える 状態にするのです。
深さが7段階以上(できれば 10 段階) になっていれば、それなりに十分な深さまで分けられていると言えるでしょう。
とおり、「深さ」の視点で課題を捉えるとは、症状ではなく、病因を突き止めること とも言えます。
重要なので何度も言いますが、 書きましょう。書きましょう。とにかく書きましょう。
今現在は○○(課題/行動/ジョブ) をどうやって行っていますか? 最後にあなたがその○○に直面したタイミングと状況のことを教えてください。 ○○を解決するためにしたことがあれば教えてください。 これまで試した解決策(ソリューション) のなかで、気に入らなかった点は何ですか? もしドラえもんがここにいて、ひみつ道具で何でもできるとしたら、その○○に対してどんなことをしてほしいですか? 漫画やアニメに出てきていない道具でも結構です。 他に私が知っておくべきことはありますか?
10 ×の問い というパターンもあります。「今の 10 倍の性能を出せる手段はないのか」「今の 10 分の1の価格で作る方法はないのか」と1桁違う改善策を考えることは、課題への視点を無理やり変える効果も持つため、これまでとは異なる課題や着眼点に強制的に目を向けることができます。
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ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機 (岩波新書)
7 quotesジョブ型と軽々しく言っている人たちには、この日本型の採用の自由を捨てるという覚悟が本当にあるのでしょうか。つまり、採用判断の是非はそのジョブに適合する人を就けるという観点でのみ判断されるという事態を受け入れるつもりなのか、ということです。このジョブを遂行するためのスキルがこの程度あるからこの人を採用します、この人はそのスキルがこれだけしかないから採用しません。何か問題が起こったら、そのように説明しなければいけないのです。ジョブ型にするというのはそういうことだという覚悟が、本当にあるのでしょうか。おそらく今、日本でジョブ型をもてはやしている人の中に、ただの一人としてそんな覚悟のある人がいるとは思えません。
仕事ができないのは仕方がないけれども、やる気がないのは許されないという、メンバーシップ型社会独特のこの規範意識が、労働者を否応なく長時間労働に導いていくことになるのは見やすい道理です。試用期間は何のためにあるのか?できますと言っていたのに仕事のできない食わせ者を排除するためにあるジョブ型社会と、やる気のない奴は排除するぞと脅して過重労働に誘導するためにあるメンバーシップ型社会とでは、その位置付けが全く正反対であることが分かります。
日本型雇用に基づく親負担主義に支えられていた幻想のアカデミズムは今やネオリベラリズムの冷たい風に晒されて、有利子奨学金とブラックバイトという形で学生たちを搾取することによってようやく生き延びようとしているようです。そのようなビジネスモデルがいつまで持続可能であるのか、そろそろ大学人たちも考え直した方がいい時期が来ているようです
かくも都合のよい万能の「能力」主義が、しかしながらやがて企業にとっての桎梏に転化し、企業はそこから脱却したいという欲望をたぎらせるようになります。会社に逆らわず唯々諾々と人事命令に従ってきた結果として得られているその高給が、その会社への貢献にはとうてい見合わないと判断されることになった中高年社員たちがそのターゲットです。
ちなみに、同法案(2018年働き方改革関連法)が国会に提出された際には、野党側はもっぱら裁量労働制や高度プロフェッショナル制度ばかりをあげつらっていました。これら制度には確かに欠陥がありますが、歴史的な時間外労働の上限規制の実現などよりも、残業代ゼロ法案をつぶすことにばかり血道を上げていたことは、法案採決時の附帯決議に「いわゆる生活残業を行う従業員が生活困窮に陥ること」への懸念が示されていることも含めて、歴史の上に記録しておく値打ちがあります。風打ちがあります
欧米ではノンエリートとして猛烈な働き方なんかする気にならない(なれない)多くの労働者が、日本では疑似エリートとして猛烈に働いている、というこの構造は、なかなか切り口の難しい代物です。ある種の左翼論者は、それは資本家に騙されて虚構の出世を餌に搾取されているだけだと言いたがりますが、もちろんそういうブラック企業も少なくないでしょうが、日本型雇用を代表する多くの大企業では必ずしもそうではなく、確かに猛烈に働くヒラ社員たちの中から課長や部長が、そして極めて稀にですが社長が生み出されてきたことも確かです。とはいえ、ではこの構造は人間の平等と企業経営の効率を両立させたすばらしい仕組みだと褒め称えて済ませられるかというと、そうではないからこそ長時間労働が問題になっているわけです。
ところが日本では、労働安全衛生法に採用時と年一回定期の一般健康診断を行う義務(使用者)と受ける義務(労働者)を定めています(第六六条第一項、第五項)。この世界に稀な規定の源流を遡ると、太平洋戦争開始直後の一九四二年二月、工場法施行規則を改正して雇入れ時と年一回の健康診断を義務付けたことに行きつきます。これはもちろん、戦時体制下で産業戦士の健康を維持する必要が高まるとともに、徴兵されたときに強健な兵士として出征できるようにするためでした。戦後、一九四七年に労働基準法が制定されるとき、この一般健康診断の規定も受け継がれ、一九七二年に労働安全衛生法が分離独立した際にも受け継がれていったのです。
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はじめての統計的因果推論
2 quotes4変数以上の場合の合流点についても、その合流 点そのものではなく、バイアスを伝える水路となる「バックドアバス」がプロ ックされているかを判断することにより、バイアスの有無を判断できます。
・分岐点は“共通原因”によるバイアスを生む原因となるので、注意が必要で ある。 ・合流点や中間点の固定/調整は“新たなバイアス”を生む原因となるので、 注意が必要である。 ・以下の2条件がいずれも満たされているとき、共変量セット C?..... C」は、 T→Yについてバックドア基準を満たしている。 (1) T→Yについて、開きっぱなしのバックドアパスがない (2)それらの共変量はTの下流にない ・T→Yについてバックドア基準が満たされているとき、(データの測定とモデル式の設定が適切であるという前提において) T→Yの介入効果をバイアスなく 推定できる。
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哲学者にならない方法
2 quotes小さい自動車整備工場を営んでいた(車の運転もできないのにどうやって修理していたのか、いまとなっては謎だ)。
心の中には深い闇を抱えながらも、表面的にはジャズとパチンコと麻雀に明け暮れる毎日を過ごしていたのだ。
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データ分析失敗事例集 失敗から学び、成功を手にする
8 quotes皆さんもデータ分析プロジェクトが始まるとき、まずどのモデルを使うか、どのように問題を解決するかという議論に入っていないだろうか? それよりもまず何が問題なのか、何を解決できれば嬉しいのかを考えるべきだ。イシューが見定められれば自ずと。まずはデータ分析の管理方法を考えよう。この手法が使えそうだという次の一手が見えるものである。
最終的に達成したい問題が長大で困難な場合。それを細かく実現可能な問題に分解し、分解された問題のそれぞれに対して評価を行ない、段階的に達成して行くべきである。
分析・機械学習はあくまでツールであり、それ自体を目的にしてはならない。
「自社サービスを頻繁に使っている」、あるいは「自社サービスへのヘビーユーザーである」という事実は、ともすると、「ほかのサービスより自社サービスを優先してくれるユーザーである」と見なされがちだが、実際にはそのカテゴリーについて興味や関心が高いだけということはしばしばある。
動画、漫画、音楽、ゲームなどのデジタルエンタメは、相互に可処分時間を奪いあう関係にあると言われがちだが、実際に調査をしてみると、併用するカテゴリーが増えても、それぞれにかける時間が減っているわけではなく。併用するカテゴリーが多いほどエンタメコンテンツにかける可処分所得時間の総和が長いことが明らかになっている。
ビジネス用のデータ分析は分析艦隊で価値があるのではなく、分析結果をビジネスの現場で活かして初めて価値になります。だから、分析者はアイデア段階からちゃんとビジネスの現場を想像し、分析結果を実装した後にどのような事態が発生しうるかをある程度予見する義務があります。
集計したのでして終わりではなく、違和感を感じた場合は時間の許す。範囲で深掘りすべきである。そこが問題発見の出発点となる。
データの活用が進めば進むほど、人々がデータからでは決めることのできない人間が解くべき本質的な問いに専念することができるはずである。そしてそれはデータによって物事が決められる不自由な世界ではなく、むしろ人々が自身の意思で問いに対する答えを決めていく自由な世界であるはずだと編者は信じている。
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情報セキュリティの敗北史
2 quotesウィンドウズのリモートエクスプロイトを見つけるのにか かるコストは、時間と労力の観点で考えると、平均的なハッカーには割高なものとなった。ウィンド ウズのハッキングは難しくなったのである。ハッカーたちは他の場所に活路を見出そうとし、その結 果、ソフトウェアのバッチが行われることのないターゲットを発見した――人間の脳である。
ノルウェーのオスロで、タクシーにABSを装着した場合の効果を調べた研究が行われた。この研究が明らかにしたのは、ABSの装着後、タクシー運転手は前の車にかなり接近 して運転するようになり、ABSによる安全性向上の効果を打ち消していた、ということだ。ABS に関する別の研究が、ドイツのミュンヘンで行われている。この研究では、車を2つのグループに分 けてモニタリングし、片方の車にはABSを装着し、もう片方には付けず、それ以外は同一の性能を 持つ車を用意した。タクシー運転手は、ABSが装着されている車とされていない車に無作為に振り分けられた。3年後に車の事故件数を集計したところ、ABSを装着した車の方が多くの事故を起こ していたことがわかったのである。
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やり抜く力
11 quotes天賦の才に対するえこひいきは、私たちのなかに潜んでいる偏見のひとつで、努力によっ て成功を収めた人のことも、「生まれつき才能があったから」と決めつけたり、華々しく活 躍している人を見ては、ずば抜けた才能に憧れたりする。とはいえ、「私はつい、才能のあ る人をえこひいきしてしまうんです」などと認める人はいないだろう。それどころか、自分 の心のなかですら認めないかもしれない。しかし私たちの選択を見れば、そのような偏見を 持っているのは明らかだ。
言い換えれば、「天賦の才を持つ人」を神格化してしまったほうがラクなのだ。そうすれば、やすやすと現状に甘んじていられる。私自身、教師生活の初めのころを振り返ってみる と、まさにそうだった。「才能」のある生徒しかよい成績は取れないと思い込み、そのよう に指導したせいで、生徒たちも、私も、「努力」の大切さを深く考えることがなかった。
<やり抜く力を付ける方法まとめ> ・興味を掘り下げる ・ストレッチ目標を設定してクリアする ・取り組んでいることが、大きな目的とつながっていることを意識 ・絶望的な状況でも希望を持つことを学ぶ
どの職業でも「天職」と感じている人の割合は変わらない
成長志向→楽観的に考える→逆境でも粘り強くがんばれる
「最後までやり通す」という項目における数値評価の高さは、生徒の数年後の成功を如実に示していた。
本書では、持っている能力を十分に発揮するためには、「やり抜く力」がいかに重要かを 説明してきた。本書を執筆したのは、私たちが人生のマラソンでなにを成し遂げられるか は、まさに「やり抜く力」――長期的な目標に向けた「情熱」と「粘り強さ」――にかかっ ているからだ。
「やり抜く力」が強いということは、一歩ずつでも前に進むこと。
「やり抜く力」が強いということは、興味のある重要な目標に、粘り強く取り組むこと。
「やり抜く力」が強いということは、厳しい練習を毎日、何年間も続けること。
「やり抜く力」が強いということは、七回転んだら八回起き上がること。
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研修で、まっさらな私たち新人を待っていたのは、徹底した「問題解決思考」の洗礼でたとえば、「自動車市場の動向を調べてほしい」というテーマが与えられたとして、業界白書に書いてあるような情報を集めてアウトプットしたとしましょう。すると、矢継ぎ 早に「何が言いたいの?」「だから何?」「真の問題は何?」「それはなぜ起こっている?」「仮説は?」ということを問われます。つまり、ただの感想や白書的な調査結果を伝えても意味がないということなのです。新人だからといって、クリティカルでロジカルな(重要なことを論理的に導き出す)思 考をせず、表面的な思いつきだけで物事を捉えたら容赦はありません。
→だから何なんだ?(so what?)その要因は(so why?)と問題の本質に迫って、それを明らかにするよう求められ、そのための思考を訓練されるのです。
問題解決の4つのステップ STEP1 本質的な問題は何か? つまり何が真の問題(イシュー)なのか?を定義(設定)する STEP2 仮説は何か? (問題に対しての仮の解決策)を立てる STEP3 仮説を検証する STEP4 アプトプット (成果物)にまとめる=プレゼン資料、報告資料にする
3の累乗について 結果や原因などは3の累乗で考える 2つでは説得力がでないし、4つでは多いみたいなことは多々ある、なので最初から3の累乗で作業をすすめてしまおう
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運動脳
3 quotes身体を動かすことで「心拍数や血圧が上がっても、それは不安やパニックの 前触れではなく、よい気分をもたらしてくれるものだ」と運動が脳に教え込むのである。
運動は抗うつ剤と効果が同じという表現は正確ではない。薬よりも強力というべきだろう。
コルチゾールは身体のストレス反応において重要な働きをするが、たいていは運動 したあとで濃度が低下する。だから、普段からよく走るウルトラマウスは、ストレス も少なくコルチゾールの濃度も低いと思われた。 ところが実際はその逆で、慢性的にストレスにさらされている様子が見られたのである。 これが人間にも当てはまるかどうか、まだ立証はされていない。とはいえ、どうや ら脳が恩恵を受ける運動量には限度があるようだ。その限度を過ぎると、ストレス反 応が抑えられるどころかむしろ強く作用して記憶力の低下を招くのだろう。 今の時点では、運動がストレスとなる限界点がどのあたりかは解明されていないが、 個人差はあると思われる。一ついえるのは、脳を鍛えたり記憶力を向上させたいなら、 ウルトラマラソンなどの過酷なレースに参加するべきではない。逆効果になるからだ。脳の機能を向上させるには少し長めに歩いたり、30分走ったりするだけで充分。何時間も走り込む必要はない。
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問題発見プロフェッショナル 「構想力と分析力」 (問題解決シリーズ)
7 quotes### **問題はあるべき姿と現状のギャップである**
**あるべき姿を見ないと問題を発見できない。**
### **例:**
顧客第一主義を実現するには、現状の顧客を詳細に分析し理解することから始めなければならない。例えば、購入動機、購入パターン、購入者のプロフィールなどの顧客情報を多面的に収集する仕組みがなければ、顧客の現状を正確に把握することができない。
### **仮説思考とは**
**一言で言うと、常にその時点での結論を持ってアクションを起こすこと。**
仮説思考では、アクションに結びつく結論を常に持つことが重要である。
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ぼくはあと何回、満月を見るだろう
7 quotesジョディ・フォスター主演でロバート・ゼメキス監督が撮った、『コンタクト』という映画があります。NASAで惑星探査のリーダーも務めたカール・セーガンの小説を原作 にしたSF大作で、公開当時かなり話題になったので、ご覧になった方も多いでしょう。 セーガンやジョビンの想像力、そして死んだらお星様になるという素朴なファンタジー を、今のぼくは決して否定したくありません。果たして死後の世界があるかどうかは分か らないけれど、ぼんやりとそんなことを考えています。
ぼく自身は震災後の政治状況を見て、日本ではまだまだ民主主義が成熟していないので はないか、という思いに駆られ、丸山眞男の本を読み返していました。彼が戦前の日本政
府の意思決定システムを鋭く評して言った「無責任の体系」は、そのまま今の時代にも当 てはまります。そんな問題意識で、丸山の代表作『現代政治の思想と行動』から、「現代 における人間と政治」という論文を紹介しました。
ここまで語ってきたことと矛盾するようですが、ぼくの場合、旅先で見たものか らクリエイションの着想を得ることはあっても、実は観光というものが大っ嫌いなんです。
CMに使われた 『energy flow』(1999年)が 自分の意図しない形で「ヒーリング・ミュージック」として評判になったとき、ぼくは身 の毛がよだつ思いがしたものです。歯医者でかかっているようなチープな音楽と一緒にさ れたようで、本当に嫌だった。ぼく自身が「癒しの教祖」などと持て囃されたことにも辟 易しました。そんなこともあり、ぼくは「癒し」という言葉をずっと弾圧し、自分では絶 対に使わないようにしてきたんです。ただ、それから十数年が経ち、病身でハワイの風に 吹かれて、これは真の意味での「癒し」と言ってもいいのかな、と考え直しました。
3.11のときもそうでしたが、世の中が急激に変化するのは非常にショッキングなことです。しかし一方でぼくには、このショックを簡単に忘れてしまいたくはない、という強 い思いがありました。こうした百年に一度のバンデミックは、我々のほとんどにとって、 きっと人生で最初で最後の経験でしょうし、そうであってほしい。さらに言うと、コロナ のグローバルな規模での感染爆発は、人間たちが過度な経済活動を推し進め、自然環境を 破壊してまで地球全体を都市化してしまったことが遠因として考えられる。その反省を未 来に活かすためにも、自然からのSOSで経済活動に急ブレーキがかけられたこの光景を、 しっかり記憶しておかなくてはいけないと思うのです。
(20220129) 夕焼けを見てたら、雲のゆっくりした動きに気がついた。東京でいったい何人がこれを見てい るだろう/雲の動きは音のない音楽のようだ
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ワークマン式「しない経営」――4000億円の空白市場を切り拓いた秘密
1 quotesこうやりきるのは計画的推進する経営者にとっての社員にとっても大変なことだ。だから目標は一つでなくてはならない 私たちはしない経営で複数の目標を持たないことを徹底した経営幹部が思いつきで社員に指示しないこと。出社すると、どうしても不必要な指示を与えるので、社長や幹部は極力出社しないことを実行してきた。 その一方で掲げた一つの目標をどうしたらやりきることができるのか? アンジェラダックワース著「やりぬく力」 ダイヤモンド社
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完全独習 ベイズ統計学入門
1 quotesどんな環境でも「とりあえずの」推定ができるのが強みです。ただし、ネイマン・ピアソン式のようにAとBどちらか一方の結論を断定するものではなく、両方の可能性を残してその可能性の比率関係を与えるものでしかありmせん。数値を見て判断を下す仕事は、統計課にゆだねられるわけです。それで。ベイズ推定はしばしば「社長の確率」と呼ばれたします。ベイズ推定を社員に見立てて、報告された数値を見て判断を下すのは社長の裁量である、という意味です。
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